ギジ・ミトラ峠正面
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 14:15 UTC 版)
「10月14日の戦車戦」の記事における「ギジ・ミトラ峠正面」の解説
エジプト軍の攻撃は最南部、ギジ・ミトラ峠正面では比較的順調に進み、砲兵道付近で阻止された他の部隊と違って平行道まで到達できたが、それも第252機甲師団がその後方で待ち伏せていたからにすぎない。ギジ・ミトラ峠手前で第252機甲師団の反撃に直面した。 第25独立戦車旅団はギジ峠に向かったが、第164機甲旅団の戦車50両と塹壕に展開した歩兵部隊が待ち構えていた。第25独立戦車旅団は午前8時と正午の二度にわたって攻撃を行ったがいずれも撃退され、合計で20両の戦車を喪失した。 詳細は「ワジ・マブークの戦闘(ヘブライ語版)」を参照 第3戦車旅団と第401機甲旅団はミトラ峠手前のワジ、マブークにおいて交戦した。 6時30分、イスラエル軍の偵察部隊が第3戦車旅団のワジ・マブーク南の高地への進出を確認した。ギジ峠において第25独立戦車旅団の攻撃が失敗するとエジプト軍は攻撃の主軸をワジ・マブークに移した。第3戦車旅団は縦隊のままワジ・マブークに突入、8時50分ごろ砲兵道の屈折点まで達したところイスラエル軍のスーパーシャーマン7両からの攻撃を受け、10両が撃破されてしまった。第3戦車旅団は足止めを食らい、反撃しようとしても観測が及ばないためイスラエル軍のほぼ一方的な攻撃を許した。イスラエル軍を包囲しようとしてもすぐに遠距離から攻撃された。対戦車チームが下車戦闘に移り、イスラエル軍の戦車を撃破したものの、イスラエル軍空挺部隊に撃退されてしまった。 9時ごろ、数両のエジプト軍戦車がイスラエル軍陣地の東側に展開したが、第401機甲旅団の戦車部隊がワジ・マブークに進出、エジプト軍の前進を阻止した。第401機甲旅団のM48(マガフ3)戦車は稜線を利用して展開、射撃陣地を変換しながらマブーク・ワジにいるエジプト軍のT-55に対して射撃を開始した。エジプト軍は混乱し、指揮官は砲兵支援を要求しながら逐次部隊をワジから脱出させようとした。 この混乱で、谷地は人員・車両が充満した。一部の戦車の掩護を受けて、他の戦車が反対側から高地に登ろうと、阻止しているイスラエル軍戦車の方へ機動した。しばらくの間は、うまく行きそうであったが、轟音を響かせながらイスラエル空軍機がやってきた。二機のファントム戦闘爆撃機が敵のSAMの射撃を回避するために低空飛行で東方から飛来し、ワジに向かって急降下した。空軍機は、ワジの中に蝟集(いしゅう)した不運なエジプト軍に対して爆撃と機銃掃射を繰り返し、眼下で大虐殺が始まった。(中略)イスラエル軍は、十時頃まで、このような戦闘を繰り返し、再三の航空攻撃によって敵を撃破した。航空攻撃は、正午までに三回実施された。攻撃後の戦場は、見るも無残な状態であった。 — ダビット・エシェル、「イスラエル地上軍」P225 - 226。 さらに第252機甲師団の師団砲兵がマブーク・ワジの第3戦車旅団に砲撃を浴びせ、混乱の中第3戦車旅団の残存部隊は午後になってようやく退却した。ワジ・マブークの戦闘に直接参加したイスラエル軍の部隊は(砲兵部隊、航空機などを除けば)戦車35両、1個対戦車小隊というかなりの少兵力であったが、第3戦車旅団の戦車の3分の2、約100両を撃退した。イスラエル軍の損害は9M14 マリュートカ(AT-3 サガー)対戦車ミサイルによる戦車2両のみであった。 エジプト軍第22戦車旅団と第1機械化歩兵旅団の一部が向かったアイン・ムーサ正面では、迫撃砲と航空機に支援されたイスラエル軍第35空挺旅団が第22戦車旅団と第1機械化歩兵旅団の前進を阻止、戦車90両を撃破した。
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