キューピッドとプシュケの連作
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「ヤーコブ・ヨルダーンス」の記事における「キューピッドとプシュケの連作」の解説
ヨルダーンスは1639年から1940年のどこかの時点で、イングランド王チャールズ1世から連作絵画の制作依頼を受けている。この依頼はブリュッセル在住のイングランド王の代理人バルタザール・ガブリエルとアントワープ駐在外交官チェザーレ・アレッサンドロ・スカーリアを通じてもたらされた。神話のキューピッドとプシュケのエピソードをテーマとした作品群で、最終的には22点の絵画が1640年から1641年の間に描かれる予定だった。全作品の完成後にはグリニッジのイングランド王妃の別邸に飾られる予定だったが、ヨルダーンスには本当の依頼主と収蔵場所は知らされていなかった。ヨルダーンスは自身とイングランド宮廷との仲介を務める人物に作品の最初のデザインを提示したが、このときガブリエルはルーベンスのほうがこの計画には適任であると考えており、チャールズ1世にもルーベンスを登用するように推挙していた。しかしながらルーベンスが1640年5月30日に死去したため、このガブリエルの企ては頓挫し、ヨルダーンスが単独でこの計画全体の総責任者となった。しかしながら計画は遅々として進まず、立案から1年後の1641年5月にスカーリアの死去とともに『キューピッドとプシュケ』の連作絵画計画は瓦解してしまう。この計画が再開されることはなく、結局わずかに8点の作品のみが完成してイングランド王宮へと送られた。その後スカーリアの遺産相続人とヨルダーンスの子供との世代にいたるまで、8点の作品のうち7点の支払についての争いが延々と続く結果を招いている。 アントウェルペンのヨルダーンスの邸宅にはキューピッドとプシュケを描いた別の連作があり、少なくとも9点の作品が邸宅南館にあったサロンの天井に飾られていた。この連作にはギリシア・ローマ神話のプシュケのエピソードの中から、アポロンの神託を受けるプシュケの父王、キューピッドとプシュケの恋愛、好奇心に負けるプシュケ、飛び去るキューピッドなどが描かれていた。これらの絵画は下から見上げたときに栄えるように短縮遠近法を用いて描かれ、採用されている透視図法はルーベンスがアントウェルペンのイエズス会修道院に描いた天井画をそのまま真似たものとなっている。この連作は天井に設けられた八角形の小窓を通して鑑賞するように設置されていた。ヨルダーンスの孫が残した記録によれば、1708年に邸宅を売却したときにこれらの連作も同時に売り払われたとなっている。
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