キャラハンの主張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 13:54 UTC 版)
「日航ジャンボ機UFO遭遇事件」の記事における「キャラハンの主張」の解説
この事件は、20世紀末までは「機長の錯覚」として人々の記憶から忘れら去られていた。しかし、2001年に、かつてのNASA関係者や退役軍人、政府関係者、航空メーカーの技術者などが『ディスクロジャープロジェクト』というUFOや宇宙人に関する情報公開を目的とした記者発表会をワシントンD.C.で開催し、本件についてはFAA職員であり事件当時を含む1981年~1988年にかけて事故調査部長だったジョン・キャラハン(John Callahan)より、日航機長の報告を裏付ける証言がなされた。 「UFOディスクロージャー・プロジェクト」を参照 キャラハンによると、日航機がアラスカ上空で遭遇したUFOは実際にレーダー上で確認され、機長の要請に呼応する形でFAAがレーダー追跡し管制対応と記録を行っていた。その後事件がマスコミに漏れて騒ぎになったことから、FAAのアンカレジ支部は業務に支障を来たし、事件翌々月の1987年1月、対処をキャラハンが率いる事故調査部に一任した。 キャラハンは全ての資料と記録をFAAの技術センターに移送させ、模擬管制室を用意して録音やデータを元に管制経過のリアルタイム再現を行った。これに立ち会って内容を知ったキャラハンは報告のためFAA本部に戻り、当時FAA局長だった退役海軍中将Donald D. Engenに再現時のレーダースクリーン状況を録画したビデオを見せた。するとEngenはその夜の予定を全てキャンセルし、「大統領に面会する」として出て行った。この二日後、FBI、CIA、および当時のアメリカ大統領ロナルド・レーガン直属の科学調査班が召集され、キャラハン他FAA関係者22名を含めた報告会議が開かれた。 この会議の終わりにおいて、参加者全員に対してCIAから緘口令が宣告され、公式には本事件は存在せず、この会議も開催されなかったこととされた。このとき、FAAが会議に提出した資料やレーダー記録等はCIAらにより全て持ち去られたが、FAA側は他にも報告書や録音テープ、再現状況録画ビデオの原本等を保有しており、これらは気付かれず特に提出を命じられなかった。このためキャラハンらはこれらを保管し続け、後に一部を公表した。 また、レーガン大統領はこのUFO遭遇事件の報道に関して、アメリカ国内のマスコミに圧力をかけたといわれている[要出典]。HAARPによる何らかの秘密実験との関連を指摘する説もある[要出典]。
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