キエフ・ルーシの「相続人」をめぐる論争とは? わかりやすく解説

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キエフ・ルーシの「相続人」をめぐる論争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 23:50 UTC 版)

モスクワ大公国」の記事における「キエフ・ルーシの「相続人」をめぐる論争」の解説

モスクワ公国はもとは北東ルーシの小公国であった。従って、元来キエフ公権力よりはノヴゴロド公国(ノヴゴロド・ルーシ)の公権力受け継ぐ国家で、君主の称号でも、あるいは対外的な文書においても、北東ルーシ指してモスクワルーシ後継者」であると表現していた。住民についても元来キエフ系の住民ではなく現地東スラヴ人フィン人融合した独自の民族・文化社会慣習持っていた。これに、後代になってキエフ・ルーシ内紛モンゴルのルーシ侵攻などから逃げてきたキエフからの難民加わった。 それが、国力蓄えるに従い15世紀以降キエフ・ルーシ相続人自認し始めた。その大きな理由は、キエフ府主教座がモスクワへ遷座したことである。とりわけ帝政期ロシア史はこうした見方無意識のうちに引き継いだ。これに対しウクライナでは19世紀のフルシェフスキー以来キエフ・ルーシ継承国家をハールィチ・ルーシ、リトアニア・ルーシとする見方登場し着実に根を張ったこうした二つ見方対立ソ連研究史において表面上はやや緩和されたが、全体としてモスクワ後継国家とする見方強かったと言えるソ連崩壊後双方見方ナショナリズム結び付き鋭く対立したが、その一方で両国一流研究者はこうした対立とは距離を置いている。自国のみを正統的相続人とする見方は、歴史一瞥すれば一面的な見方であることは明らかだからである。しかし「相続人」をめぐる問題両国アイデンティティ関わる故にとりわけ教科書レベルではさほど冷静とは言えない記述散見される。 なお、この問題ロシアウクライナベラルーシ限定され問題ではない。中世後期よりヤギェウォ朝のポーランド王国もまたルーシ相続人自認した。近世に入ると、ポーランドキエフ含めたかつてのキエフ・ルーシ領域大半キエフ県として領有することとなり、またリトアニア大公国との制度的同君連合であるポーランド・リトアニア共和国によって上記ハールィチ・ルーシ及びリトアニア・ルーシの正当な継承獲得将来的にはモスクワ領域ポーランド版図加えられるべきであると主張していた(ポーランド・ロシア戦争)。しかし、ソ連影響力のもと、ポーランド主張影を潜め加えて第二次世界大戦後に、国境線西方移動したことに伴いポーランドでは専らピャスト朝相続人であることが強調されるようになった)、ソビエト連邦の崩壊によりウクライナ独立すると、ポーランド・ウクライナ関係に配慮することが定着しルーシポーランド領とする主張はなりを潜めたが、ポーランド人の間ではルーシ未開辺境地帯捉える傾向定着している。一方ウクライナ主張同国独立により国際的に広く知られることになったが、他方キエフ・ルーシ歴史独占他国の祖でもあることを認めずに)しようとする一部過激な見方には反発もある。

※この「キエフ・ルーシの「相続人」をめぐる論争」の解説は、「モスクワ大公国」の解説の一部です。
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