カーター政権への接触
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 07:19 UTC 版)
「サンフランシスコにおける人民寺院」の記事における「カーター政権への接触」の解説
ジョーンズがサンフランシスコで政治的な地位が上昇した後、教団は、1976年アメリカ合衆国大統領選挙前に、ジミー・カーター陣営のメンバーと何度か会合を行った。この選挙活動の間、ジョーンズとモスコーニは、カーターの下位候補者であるウォルター・モンデールと、サンフランシスコ国際空港に駐機してあるカーターの選挙用航空機の中で非公式に面会していた。この面会が終わって間もなく、ジョーンズはガイアナ政府の地位を高めようとしていたと主張し、加えてモンデールと国を不安定化させる諸外国の試みに関して、個人的な話し合いを行ったと主張した。 1976年秋、ジョーンズとロザリン・カーターは、サンフランシスコ民主党本部のグランドオープン時に会話を交わした。教団信者達が聴衆として押しかけ、ジョーンズはカーター夫人よりも大きな拍手を集めた。カーター夫人は、スタンフォード・コート・ホテルでのプライヴェート・ディナーでジョーンズと面会しており、教団の機関紙であるピープルズ・フォーラムにその写真が掲載された。後にカーター夫人は、ジョーンズに個人的に電話をかけており、この会話を教団が録音していたことには気づいていなかった。また、カーターはジョーンズと当時のカリフォルニア州知事のジェリー・ブラウンが話した、教団での夕食会に代表者を送った。ジョーンズとカーター夫人は1977年3月に再び食事をしており、その後に書簡を交換した。一方の書簡では、ジョーンズはフィデル・カストロと最近面会しており、キューバへの支援を要望する物であった。カーターによってホワイトハウスの便箋に手書きで書かれたジョーンズへの返信は、「キューバに対する貴方の書簡は役に立つものだった。近い将来、貴方の提案が実行されることを願っている」というものであった。加えてカーターは、「選挙活動の間、貴方といることは楽しかった。(中略)貴方がすぐにルース(英語版)と会えることを願っている」とも書いていた。 短時間の面会であったが、教団は行政機関のメンバーから称賛を受けた。1976年、モンデールは教団について、「会衆が我が国の主要な社会的、及び立件上の問題に深く関与していることを知ることは、私にとって大きなインスピレーションであった」と述べている"。カーター政権下で保健教育福祉長官を務めるジョセフ・アンソニー・カリファノは、ジョーンズに対して「貴方の人道主義の原則と、個人の自由を保護することへの関心は、人間の尊厳の保護に顕著な貢献を果たした」と語った。
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