カーター政権終了後から駐ドイツ大使任命まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 14:40 UTC 版)
「リチャード・ホルブルック」の記事における「カーター政権終了後から駐ドイツ大使任命まで」の解説
カーター大統領が1980年の大統領選挙で共和党のロナルド・レーガン元カリフォルニア州知事に敗れ、1981年1月に退任すると、ホルブルックも政府を離れた。 離職後はリーマン・ブラザーズの上級顧問に迎えられ、1985年から 1993年までのおよそ8年間は、同社の常務取締役も務めた。またリーマン社で働くかたわら、カーター政権時代にウォルター・モンデール副大統領の補佐官を務めていたジェームズ・A・ジョンソン(英語版)と共にコンサルティング会社「パブリック・ストラテジーズ(Public Strategies)」を立ち上げ、同社の副社長に就任している。 さらに、この間には文筆活動にも取り組んでおり、1991年にはジョンソン政権下で国防長官を務め、民主党内で一種のフィクサー的な存在であったとされるクラーク・クリフォードの回顧録・“– Counsel to the President: A Memoir. -”に共著者として名を連ねている。
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