カルマンギアとは? わかりやすく解説

フォルクスワーゲン・カルマンギア

(カルマンギア から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 05:32 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
フォルクスワーゲン・カルマンギア
カルマンギア タイプ1
カルマンギア タイプ3
カルマンギアTC
販売期間 1955年 – 1975年
デザイン カロッツェリア・ギア
乗車定員 2+2人
ボディタイプ 2ドアクーペ
2ドアカブリオレ
エンジン 1.2L 水平対向4気筒 OHV 空冷 30仏馬力/7.7kgm(タイプ1最初期型)
駆動方式 RR
変速機 4速MT / 3速セミAT(スポルトマチック)
サスペンション 前:横置きトーションバー・ダブルトレーリングアーム独立(ポルシェ式)
後:横置きトーションバー・トレーリングアーム支持スイングアクスル独立
全長 4,140mm
全幅 1,634mm
全高 1,330mm
ホイールベース 2,400mm
車両重量 810kg
-自動車のスペック表-
テンプレートを表示
カルマンギア タイプ1カブリオレ
カルマンギア タイプ1:初期型 角テール(1955年~1959年)

カルマンギアKarmann Ghia )とは、ドイツフォルクスワーゲンが製造・販売した自動車。大衆車であるタイプ1(ビートル)をベースとして開発されたクーペスペシャルティカーである。

概要

ドイツのコーチビルダーであるカルマンが企画し、イタリアカロッツェリア・ギアの原デザインに基づいてボディを生産、これにフォルクスワーゲン量産車のコンポーネンツを組み合わせる合作により誕生した車で、ネーミングの由来もカロッツェリアとコーチビルダー両者の社名を組み合わせたものである。

タイプ1(ビートル)をベースとした「1200」(タイプ1、タイプ14とも。のち排気量拡大)が1955年7月に発表され、その後タイプ3をベースとした「1500」・「1600」(タイプ3、タイプ34とも)が1961年に発売された。クーペモデルをベースに、オープンボディとなるカブリオレモデルも製作されている。

鈍重なビートルや実用一点張りなタイプ3セダンなどに比べ、いずれもギアの手になる流麗なスタイリングが最大の特徴で、タイプ1が全面的に曲面デザインで構成されたボディを持つのに対し、タイプ3はグラスエリアを広げ、シボレー・コルヴェアの影響を彷彿とさせるウエストライン周りの直線的モチーフをボディのキャラクターラインに大幅に取り入れている。ただし、流用品のヘッドライト周りとノーマルのホイールキャップは「フォルクスワーゲンらしさ」をうかがわせた。

フォルクスワーゲン・シャーシと組み合わせてのコーチワークはカルマン工場が担当。パワートレインやバックボーン・プラットフォームシャーシの基本構造はフォルクスワーゲン・タイプ1と同じで、水平対向4気筒空冷OHVエンジンをRRレイアウトで搭載することも変わらない。

後発のタイプ3系はタイプ1系ほどの人気を得ることができず、並行生産の後にタイプ1より早い1969年に生産中止となった。タイプ1は安全対策改善や排気量拡大型のエンジン搭載などの改良を受けつつ、1973年まで生産されるロングセラーとなった。

またブラジル法人のフォルクスワーゲン・ド・ブラジルではタイプ3系は導入されず、1969年までタイプ1が生産された後の1970年よりブラジル法人独自モデルの「TC」に移行し、1975年まで生産された。

量産車であるフォルクスワーゲンをベースとしているため比較的安価、メンテナンスも容易で、アメリカ市場では特に好評を博した。パワートレイン仕様は通常のフォルクスワーゲンと大差ないものであり、走行性能は通常型フォルクスワーゲンをやや上回る程度で、決して飛び抜けた高性能ではなかった。それでも車高が低くスタイルが良いため、スポーツカー的な感覚を気軽に味わえる「プアマンズ・ポルシェ(poor-man's Porsche:貧乏人のポルシェ)」と評され、市場では一定の人気を保ち続けた。ブラジル法人生産分を含めて、累計44万台以上が造られた。日本ではヤナセが正規輸入を行っていた。

生産中・生産終了後を通じ、カスタマイズも頻繁に行われてきた。ローダウン・排気量アップなどが行われ、今なお社外部品も広く出回っている。

歴史

  • 1953年 - プロトタイプが作られる。
  • 1955年7月 - 1200クーペ発表。
  • 1957年9月 - 1200カブリオレ発表。
  • 1959年 - デザインを変更。ヘッドライトの位置・フロントグリルの形状を横2本から3本へ変更。角テールだったテールレンズデザインをいわゆる「三日月テール」に変更。
  • 1962年 - (タイプ3シリーズ)1500クーペ登場。
  • 1965年 - タイプ1系は1.3Lへと排気量アップ。タイプ3系に1600登場。
  • 1966年 - タイプ1系は1.5Lへと排気量アップ。同時に内部の電装が6Vから12Vへ変更された。ホイールの形状を5穴から4穴に変更。
  • 1969年 - タイプ3系は1500・1600とも生産終了。タイプ1系は1.6Lへと排気量アップし、丸型だったフロントウインカーレンズの形状を横長四角形に変更、テールレンズも若干大きくなった。以後カルマンギアの生産はタイプ1系に集約された。
  • 1970年 - エンジンをデュアルポート化。
  • 1970年 - ブラジル法人でTC登場。
  • 1971年 - デザイン変更。テールが縦長の大型テールになり、バンパーの形状も変更された。
  • 1973年 - タイプ1系生産終了。
  • 1975年 - TC生産終了。

関連項目


カルマンギア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:17 UTC 版)

フォルクスワーゲン・タイプ3」の記事における「カルマンギア」の解説

1961年セダン同時にタイプ3ベースに全く新しいスタイルの「タイプ34」カルマンギアが登場した同時代アメリカ車影響顕著に感じられるエッジの効いたスタイリング特徴とし、価格ビートルの2倍近く比較高価で、装備について1963年からは電動サンルーフオプション装備可能となるなど、タイプ1カルマンギアよりも高級志向であったまた、他のタイプ3各モデル同様に居住性やトランクスペースは大幅に改善されていた。 しかしそのスタイルタイプ1カルマンギアほどの人気を得ることができず、カルマンポルシェ・914生産開始した1969年に、タイプ1より先に消滅した生産台数も4万2,505 台と、年間平均5,000程度留まり今日では稀少車扱いされ始めている。この生産台数少なさは、アメリカに正式輸出されず、タイプ1カルマンギアのようにブラジル法人でも生産されなかったためであった

※この「カルマンギア」の解説は、「フォルクスワーゲン・タイプ3」の解説の一部です。
「カルマンギア」を含む「フォルクスワーゲン・タイプ3」の記事については、「フォルクスワーゲン・タイプ3」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「カルマンギア」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「カルマンギア」の関連用語

カルマンギアのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



カルマンギアのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのフォルクスワーゲン・カルマンギア (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのフォルクスワーゲン・タイプ3 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS