オペラ、ミュージカル
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「勤労者音楽協議会」の記事における「オペラ、ミュージカル」の解説
関西では、オペラ上演、創作ミュージカルも労音が手がけるようになり、クラシックコンサートの多くが労音の手によるものになっていった。 関西のオペラシーンでは、大阪労音が朝日放送の後援を得て、1955年、團伊玖磨作曲のオペラ「聴耳頭巾」木下順二作(指揮・團伊玖磨、二期会、関西交響楽団)を宝塚大劇場で開催するなど大きな役割を果たしていた。 関西の労音が主催するオペラ公演は、2週間から1ヶ月にも及ぶもので、「椿姫」「カルメン」「魔笛」「フィガロの結婚」「蝶々夫人」などを安く鑑賞することができた。労音は、阪神甲子園球場や大阪スタヂアムで野外オペラ「アイーダ」を上演。 これらは、大阪労音を中心とする全国の労音組織の安定した動員力を背景としたものでもあった。 1958年、大阪労音の依頼を受けた、藤田敏雄は、ペギー葉山主演の一人ミュージカル『あなたのために歌うジョニー!』(飯田三郎・音楽、藤田敏雄・台本)を作詞・演出した。ペギー葉山はこれによって、文部省芸術祭個人奨励賞を受賞。 続いて、東京労音でも、『可愛い女』(1959年、黛敏郎・音楽、安部公房・台本)のミュージカルを制作・上演。 続いて、大阪労音で『見上げてごらん夜の星を』(1960年、いずみたく・音楽、永六輔・台本)が上演され、後に、坂本九が主題歌を歌い、映画化もされるブームをつくった。 1961年7月、大阪労音ミュージカル『歯車の中で』(永六輔・作、青山圭男・演出、芥川也寸志・作曲、草笛光子、立川澄人、沢たまきら出演、大阪フィルハーモニー交響楽団演奏)は、大阪フェスティバルホールで1ヶ月間の公演を行い、東芝音楽工業から日本ミュージカル史上初のLPレコードをリリースする。(JSP-1023 1963.3.5発売)
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「オペラ ミュージカル」の例文・使い方・用例・文例
- 彼はオペラについてまるっきり知らない
- その古いオペラ劇場が市の誇りだった
- そのオペラは大成功だった
- オペラ劇場
- オペラはすばらしかった
- そのオペラの圧巻はアリアだった
- 彼はオペラを書いた
- 彼はイタリアオペラ界の支配者であると言われた。
- プログラムは有名なオペラの中の混合曲で始まった。
- そのオペラで、デリラは妖婦として表現されていた。
- ソープオペラとは、主婦層をターゲットとした、午後早くに放送される連続ドラマの事です。
- オペラを太郎は何回見たことがありますか?
- またオペラハウスで劇を見たいです。
- 私はオペラを一度見てみたいと思っていた。
- 私はオペラを見てみたいと思っていた。
- あなたは、そこでオペラを観ることができる。
- マリア・カラスは有名なオペラ歌手でした。
- 太った女性が歌うまでオペラは終わらない。
- そのオペラにはおそれ多くも皇太子殿下ご夫妻が足を運ばれた。
- 彼はオペラを書いた。
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