エンパイア・ビルダー(帝国建設者)として
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「ジェームズ・ジェローム・ヒル」の記事における「エンパイア・ビルダー(帝国建設者)として」の解説
1883年から1889年の間に、ヒルはミネソタ州からウィスコンシン州、ノースダコタ州を通ってモンタナ州へと至る路線を建設した。その建設は、「ヒルにインディアンの居住区を通過する鉄道の建設を許可する」という議案への拒否権を大統領が発動するというような困難を乗り越えてのものであった。法はインディアン居住区への鉄道建設を禁じていたが、その法はヒルと同じブルボン民主党の立場に立つクリーブランド大統領により廃止された。 ヒルが鉄道を敷設した時点では周辺に産業がなかったので、これを誘致した。場合によっては企業を買収し、工場を沿線に移設した。1889年までに、ヒルは自分の目標を大陸横断鉄道の建設に定めた。ミネソタ州に鉄道の計画ができた時点では、そこまでの見通しはなかったものである。 「私たちが望むのは、もっとも将来性があり、距離が短く、平坦で、曲線が最小限の鉄道である。多大な経費をかけて景観を維持しつつロッキー山脈を越えるルートを建設することは不可能である」とは、ヒルが語っていた言葉である。1893年1月、グレート・ノーザン鉄道(GN)が完成した。GNは、セントポールからミネソタ州を通り、シアトルを結ぶ1,700マイル(2,735km)の鉄道となり、公的資金の助成や政府による土地の贈与なしで建設された初めての大陸横断鉄道であった(従前の大陸横断鉄道には、政府による鉄道用地の無償供与などの便宜が図られていた)。また、数少ない、倒産しなかった鉄道でもある。 ルートは、競合するノーザン・パシフィック鉄道(NP)のさらに北に敷設された。当時、すでにNPは多数の橋梁、急勾配、トンネル等を駆使して太平洋岸北西部に到達していた。ヒルは自らルートの大部分の選定にあたり、馬に乗って提案されたルートを踏破した。GNのルートの鍵となったのは、それまで地図に記載のなかったマリアス峠(Marias Pass、標高1,588m)をルートに組み込んだことであった。マリアス峠はGNの主任技師であるジョン・フランク・スティーブンス(John Frank Stevens)が1889年12月に発見したもので、ロッキー山脈越えルートとしては、NPのルートに比較して容易なルートであった。
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