エルンスト・ステーン
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「ハンス=ウルリッヒ・ルーデル」の記事における「エルンスト・ステーン」の解説
エルンスト=ジークフリート・ステーン(Ernst-Siegfried Steen)はルーデルにとって恩師に当たる人物である。1912年9月25日生まれ。ドイツ・シュレースヴィッヒ=ホルシュタイン州・キール出身。彼はラパロ条約によりソ連で航空訓練を受け1935年の再軍備とともにルフトヴァッフェに入隊した古参パイロットの内の一人であり、対フランス戦では中尉として第2急降下爆撃航空団に所属・戦闘に参加。急降下爆撃に非凡な才能を持ち、バトル・オブ・ブリテンでは15,240トンのイギリス艦船を撃沈する戦果を挙げる。1941年8月1日、第2急降下爆撃航空団第III飛行大隊(III./Stuka-Geschwader 2、III./StG 2)指揮官に着任。この日、以前から何かと目にかけてきたルーデルも一緒に第III飛行大隊に転属してくることで、それ以来、戦闘経験の少ない彼に急降下爆撃の秘訣を教え込んでいる。しかし9月23日、彼にとって第300回目の出撃であるこの日、二番機のルーデルが特訓の成果を見せて見事マラートを撃沈するものの、ステーンは同日のキーロフ攻撃でシャルノヴスキーと共に戦死する。ステーンは戦死後、東部戦線に従軍したシュトゥーカパイロットとして初の騎士鉄十字章を授与されることとなった(1941年10月17日)。28歳没。最終階級は大尉。 ステーンは経験豊富な同僚たちに引け目を感じていたルーデルにも分け隔てなく接し、隊でも人徳者として有名であった。ルーデルは常にステーンにつき従い、一緒に森を散歩するなど気心の通じ合った仲だったため、その死にはひどいショックを受けたという。彼はステーンについて「真に偉大な人間である」と述べ、「のちの私の功績は、ステーンに負うところが多い」と尊敬の念を交えて著書に記述している。 戦争中に所属した部隊は順番に第2急降下爆撃航空団第III飛行大隊(中隊長)、第76急降下爆撃航空団第II飛行大隊、第3急降下爆撃航空団、第2急降下爆撃航空団第I飛行大隊、第2急降下爆撃航空団第III飛行大隊(指揮官)。 受章勲章は二級鉄十字章(1939年9月15日)、1938年10月1日記念メダル(1939年10月1日)、Za obranu Slovenska Javorina Orava(チェコスロバキアの勲章。1940年3月14日)、一級鉄十字章(1940年5月28日)、パイロットバッジ(ブルガリアの勲章。1941年3月1日)、Frontflugspange für Kampfflieger in Silber(1941年5月)、Frontflugspange für Kampfflieger in Gold(1941年7月3日)、騎士鉄十字章(死後受章。1941年10月17日)、Goldene Buch der Flieger(死後受章。1942年1月15日)、Flugzeugführerabzeichen(時期不明)、Dienstauszeichnungen der Wehrmacht 4.Klasse, 4 Jahre(時期不明)。
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