インドの口伝の伝統との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 14:23 UTC 版)
「大乗非仏説」の記事における「インドの口伝の伝統との関係」の解説
近世以降の大乗非仏説には、宗教に関するインド人の伝統を無視している、との批判がある。それによれば、「インドでは古来、宗教の聖典は口伝によって伝承し、文字にして残さないという伝統があった。よって、釈迦が大乗仏教を説いていたとしても、釈迦の死の直後に文字に記されなかったことはむしろ当然であり、釈迦の死の直後に記された大乗経典の実物が発見されていないことは大乗仏教が仏説ではないことの根拠にはならない」とするものである。 ただし、この主張は部派仏教の経典は文字によって伝承され、大乗は口伝で伝えられたというものであるが、これは史実と異なる。実際は上座部のパーリ経典の方が口伝で継承されていた。パーリ経典は口伝で重要な暗記をやりやすくするために、反復や韻を踏む内容となっている。また、僧の大集会などで経典を唱える行為はこの暗記の正確さをお互いに確認しあうという役割があった。パーリ経典が文字として記録されたのは大乗仏教が登場してからである。 一方の大乗経典は口伝伝承を前提としていないため暗記を容易にするような、単純な文を反復するという構成ではなく、その内容も哲学的なものも多く、明らかに文伝を前提とする文章構造になっている。文献学的観点からは文伝を前提としているのが大乗で、口伝を前提としているのが部派仏教である。 口伝伝承されており、その発祥時期も大方は明らかになっている部派仏教の経典に大乗の教えが見られないこと自体が大乗は口伝で伝承されず、発生時期が部派以後であるという文献学の根拠ともなっている。この、成立時期の大きな時間差については、根本分裂前の教団が、後に大乗仏教と呼ぶ部分を理解してもらうために方便として広める必要のある物から順に文字化されただけだという意見もあるが、あくまで大乗擁護を結論として作り上げた推論の域を出ない。
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