インドの冶金術と錬金術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/24 00:25 UTC 版)
「化学の歴史」の記事における「インドの冶金術と錬金術」の解説
詳細は「en:History of metallurgy in the Indian subcontinent」を参照 古代インドでは冶金術と錬金術にめざましい進歩がみられた。ウィル・デュラント (Will Durant) はThe Story of Civilization 1: Our Oriental Heritage(『文明の物語1:東洋の遺産』)の中で次のように記す。 古代インドの鋳鉄は化学成分が素晴らしく、グプタ朝時代は工業開発がめざましく、帝政ローマなどとの比較でも染色、製革、せっけん製造、ガラス、セメント、・・・などの化学工業分野では最も高度な技術を擁していたとみられる。6世紀までヒンドゥー教徒は化学工業の分野でヨーロッパよりはるかに先行しており、煆焼 (calcination)、蒸留、昇華、蒸気加熱、不揮発性化 (fixation)、熱を伴わぬ発光、麻酔薬や催眠剤の調合、金属塩・化合物・合金の調製などに熟達していた。鋼の焼鈍しは古代インドに持ち込まれて完成したが、現代までにどのようにヨーロッパに伝わったのかは不明である。ポロスの王はアレキサンダーからの高価な贈り物として金や銀ではなく30ポンドの鉄を選んだと伝えられる。イスラム教徒はこのヒンドゥー教徒の化学と化学産業のほとんどを近東やヨーロッパに伝えた。たとえば『ダマスカス剣』製造の秘密はアラブ人がペルシア人から、ペルシア人はインドから手に入れたものであった。
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