インドの叙事詩におけるダクシナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/22 09:47 UTC 版)
「ダクシナ」の記事における「インドの叙事詩におけるダクシナ」の解説
インドの叙事詩マハーバーラタには、Ekalavyaという人物に関しての、適切なグル・ダクシナと不適切なグル・ダクシナについての象徴的な物語が綴られている。この物語は、部族の少年の、弓術を習得したいという情熱に関するものである。 Ekalavyaの物語は、マハーバーラタに綴られた多くの物語のように、教育、個人の習得への情熱ならびに適切なダクシナおよび不適切なダクシナとは何かということについての、結論のない寓話である。 叙事詩マハーバーラタにおいて、グル・ダクシナによりEkalavyaの右手の親指を手に入れたのち、Dronaは霊にとりつかれ、Ekalavyaの親指を要求したことは正しかったのかと自問自答するようになる。Ekalavyaは、4本指の右手と左手で弓術を習得しなおし、それによって強力な戦士となり、王として受け入れられ、自らの子供たちに対し、教育は皆のためのものであり、いかなる者に対しても教育の扉を閉ざすことは誰にもできないと説く。
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