イスラエルでの活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 23:36 UTC 版)
「センチュリオン (戦車)」の記事における「イスラエルでの活躍」の解説
センチュリオンは、朝鮮戦争での活躍から世界各国で主力戦車として導入されたが、中でもイスラエルに導入されたセンチュリオンは改良を加えられ、幾度かの戦役に参加し活躍した。 イスラエルは、イギリスとチーフテン改良型の共同開発の契約を結び、その契約の一部として同国で余剰化していたセンチュリオン Mk.3を導入、その後もイギリスやオランダの車両更新に伴う余剰センチュリオンを大量に購入した。 期待を受けイスラエルに導入されたセンチュリオンではあったが、元来ヨーロッパでの運用を前提として設計されていたために熱波と細かな砂塵にさらされる中東で各種のトラブルが頻発し、当初の搭乗員の評価は散々なものであった。しかし、その後の主砲やエンジン、トランスミッションなどの換装により第三次中東戦争(六日間戦争)や第四次中東戦争(ヨム・キプール戦争)でアメリカ製のM48パットン/M60パットン(マガフ)と共にアラブ連合側のソ連製T-55やT-62と激戦を繰り広げ、特にシリア機甲部隊と激突した涙の谷の戦闘では、戦場が破壊された戦車の墓場となった。 その後、主力戦車の座はメルカバに譲ったものの、対戦車ミサイル対策としてリアクティブアーマーを装着してレバノン内戦などにも投入された。現在は戦車としては退役したものの、その地雷などへの対抗性を買われて、ナグマショットやプーマなどの装甲兵員輸送車や歩兵戦闘車、戦闘工兵車に改造され使用されている。 センチュリオンの改良により得られたノウハウはメルカバの開発に大いに生かされており、特に旧式ではあるが交換が簡単で車内容積を広くできるホルストマン・サスペンションなど、走行装置の構成はセンチュリオンに酷似している。 詳細は「ショット (戦車)」を参照
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