センチュリオンの改良
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 01:33 UTC 版)
「イスラエル・タル」の記事における「センチュリオンの改良」の解説
詳細は「ショット (戦車)」を参照 イスラエル軍は第三次中東戦争前にイギリスからセンチュリオン戦車を導入し、イスラエル軍初の戦後第一世代MBTとして期待されたが、いざ実戦に投入してみると、もともと欧州での運用を前提に設計されたセンチュリオンは砂漠地帯での運用に大きな不安を抱えていることが判明した。主砲の20ポンド砲は遠距離での命中精度が劣悪で、視界の開けた砂漠地帯での運用に不適合であり、エンジンとして搭載されていたミーティア・エンジンはガソリンエンジンのため被弾時に爆発の危険があるばかりか、フィルターに砂が詰まってオーバーヒートを起こす代物であった。ブレーキやトランスミッションも砂漠地帯だと過熱して使い物にならなくなり、結果、戦車兵からは旧式のスーパーシャーマンシリーズへの搭乗を希望するものが相次いだ。 そこでセンチュリオンに砂漠地帯での運用に耐えうるよう改良を施すことになり、それを主導した人物がタルであった。主砲をイギリス製105mmライフル砲L7に換え(もともとセンチュリオンへの搭載が予定されていた砲であるので容易に搭載できた)、遠距離での交戦能力を確保した。この改良を施されたセンチュリオンは「ショット」(英語: Sho't、鞭の意)と呼ばれるようになり、第三次中東戦争で活躍した。 その後もエンジンをマガフ(M48・M60)などと同じコンチネンタル AVDS-1790-2に(エンジンルームを若干拡張し、エンジンを傾けて搭載した)、変速機はアリソン CD850-6に、ブレーキは油圧式ドラムブレーキに換え、砂漠での機械的信頼性・整備性はオリジナルのセンチュリオンより大幅に向上したのである。これらの改良を施されたセンチュリオンは「ショット・カル」(英語: Sho't Kal)と呼ばれ、第四次中東戦争でも主力戦車の一翼としてM48、M60戦車にも劣らない活躍を見せた。特にゴラン高原では「涙の谷」と呼ばれる戦区での活躍がよく知られ、かつての悪評を払拭して戦車兵たちから高い評価を得た。結局メルカバが実戦投入された1982年のレバノン侵攻まで現役にとどまり、ショットの車体を再利用したプーマ戦闘工兵車やナグマホン歩兵戦闘車は2015年現在でも現役である。
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