センチュリオン導入まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 06:19 UTC 版)
「ショット (戦車)」の記事における「センチュリオン導入まで」の解説
建国直後のイスラエル国防軍(IDF)は、第二次世界大戦の終結に伴い西側諸国で余剰化したM4 シャーマンのスクラップを収集再生して戦力としており、その後もフランス製のAMX-13軽戦車を直接導入したり、主砲をAMX-13用の61口径CN-75-50 75mm高初速砲/AMX-30用のCN-105-F1 105mm戦車砲を短砲身化したものにそれぞれ換装したM50/M51 スーパーシャーマンなどを製造することで逐次機甲戦力の近代化を図って第一次中東戦争や第二次中東戦争を戦っていた。しかし、M4 シャーマンの火力強化はもはや限界に達した上に、装甲防御力は第二次大戦の頃からその不足を指摘されていたが重量上の問題から増加装甲の装着もままならず、人的資源の量において圧倒的にアラブ諸国に劣るイスラエルにとっては望ましい状態ではなかった。 周辺のアラブ諸国は、シリアやエジプトのT-54中戦車やT-55中戦車、IS-3重戦車、ヨルダンのM47パットン/M48パットン/センチュリオン中戦車のようにソ連やアメリカなどから次々に新型戦車を導入しており、いずれM4 シャーマンの改修戦車程度では対抗しえなくなるのは目に見えていた。そこで、イスラエル国防軍はアメリカからM48A1/A2を導入すると共に、1963年にイギリスとの間に新型主力戦車チーフテンの開発に協力しそれを元にした新型戦車を購入する契約を交わす代償として、イギリス陸軍で余剰化したセンチュリオンを導入し、その後もイギリスやオランダなどの欧州各国からチーフテンやレオパルト1などへの更新で余剰化した中古センチュリオンを大量導入、最終的に保有数は1,000両以上に達した。
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