イギリス保護領から独立へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/16 02:52 UTC 版)
「トンガの歴史」の記事における「イギリス保護領から独立へ」の解説
1900年、ジョージ・トゥポウ2世はイギリスと友好条約を締結、トンガはイギリスの保護領となり外交権を失った。イギリスとの関係は安定しており、1941年に始まった太平洋戦争では、トンガは連合国(イギリス)軍の一員として参戦、ソロモン諸島を占領した日本軍と戦った。第二次世界大戦中にはニュージーランド軍とアメリカ軍の拠点となったが、基地として固定化することはなく、大戦後には撤退している。 1958年、イギリスとの友好条約によってトンガの自治が確立する。1968年の条約により、保護領として留まりながら、さらに権利が拡大した。1965年、タウファアハウ・トゥポウ4世が王となり、同王のもと、1970年6月4日にイギリス連邦内の独立国となった。 1972年、トンガの権益を侵す動きが露呈する。トンガの南西480 kmに位置する無人島テレキトケラウ島とテレキトンガ島をミネルバ共和国として独立させ、タックス・ヘイブンとして利用しようとする動きである。首謀者はリトアニア 生まれのユダヤ系アメリカ人マイケル・オリバー率いるフェニックス財団であった。これを防ぐため、トンガは2島の領有権を主張、合弁企業の策動を防ぐことに成功した。 1987年、トンガ議会で初めて野党が一般議席の多数派となる。しかし、トンガ議会には王自身や世襲貴族も議席を擁するため、首相には王族であるファタフェヒ・トゥイペレハケが付き、政治の不安定化には至らなかった。1990年の選挙でも反政府派が一般議席の多数派となったが、やはり議会全体を押えるには至っていない。
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