イギリス保護時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 08:42 UTC 版)
1868年に、自由州・ソト戦争でボーア人に西部低地を奪われた後、モショエショエ1世はヴィクトリア女王にレソト(当時バソトゥランドとして知られていた)をイギリスの保護国にさせる事に成功した。イギリス行政庁はマセルに置かれ、現在のレソトの首都になっている。国内問題は地域の首長が権限を持ち、イギリスは外交と防衛を担当した。1869年に、イギリスはバソトゥランドの国境画定作業を手伝った。バソトゥランドには多くの氏族が領地を持っていたが、ソト語話者の多くはオレンジ自由州に住む事になり、フーアトレッカー共和国がソト王国に接する事になった。イギリスのオレンジ自由州や後の南アフリカ共和国を含めて全てのバソトゥランドを併合するという目論見は失敗した。1966年には、バソトゥランドはイギリスから独立を勝ち取り、レソト王国となった。
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