イギリス保護領バルチスタン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 10:11 UTC 版)
「バルーチスターン」の記事における「イギリス保護領バルチスタン」の解説
1840年にイギリス軍が侵攻。1854年に条約を結び、イギリス保護領バルーチスターン(英語版)となった。このあたりはイギリスによるインドの統治が進むにつれて、本国とインドの間の電信線を敷くためには不可欠な地方となり、ガージャール朝ペルシャのナーセロッディーン・シャーとロイター男爵が相談して行なわれた「ロイター利権(英語版)」(英: Reuter Concession)の供与と連動して、イギリスはバルーチスターンを4つの藩王国(カラート藩王国(英語版)、ハラーン藩王国(英語版)、ラス・ベラ藩王国(英語版)、マクラーン藩王国(英語版))に分割し、バルチスタン首席弁務官領(英語版)を設置した。
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