イギリスの保護国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/11 07:11 UTC 版)
1885年10月、植民地省はニュージーランド自治植民地からの要請を受け入れ、ニュージーランドが任命する有給の領事がイギリスの公式な代表としてラロトンガで活動することを認めた。またこの領事には、アリキらによる行政法の起草を補佐し、ニュージーランド総督の名において承認あるいは却下する権限も与えられた。1888年、女王マケア・タカウ・アリキは差し迫ったフランスの侵略の脅威を払拭するべく、正式にイギリス政府にラロトンガの保護国化を申し入れた。これを受けイギリス政府は、親イギリス住民とニュージーランド貿易を保護するため南方諸島全域を保護領と宣言し、それまで副領事格だったラロトンガ領事府をその全域の植民地政府へ格上げした。また環礁を主とする北クック諸島も、将来の太平洋横断ケーブル基地候補としてイギリス保護領クック諸島に併合されることになった。
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