イギリスの保護貿易政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/10 16:17 UTC 版)
17世紀のイギリスでは、重商主義がすすめられて、イギリスの繁栄の礎を築いた。イギリスは1651年から航海条例を発布する。目的はイングランドの貿易をイングランド籍の船にかぎることであり、これによりオランダ船を貿易において排除した。1690年には産業の保護のため、毛織物の輸入に関税をかけて、原毛の輸出を禁止した。この時代には連帯保護制度があり、製造業を保護する一方で、小麦をはじめとする穀物に輸入制限を設けたり、輸出奨励金の拠出を行った。穀物の輸出奨励金によって、イギリスは1770年代まで穀物輸出国となった。民間では名誉革命によって営業の自由が保証されたが、同時代の大陸ヨーロッパは国王特権による独占や特許がまだ力を持っており、アダム・スミスが『国富論』を書いた時代にも、フランスはコルベール主義の政策が続いていた。コルベールは産業育成と輸出奨励策をとり、輸入代替政策をはかった。
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