イギリスの勝利とその意義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 01:11 UTC 版)
「トラファルガー戦役」の記事における「イギリスの勝利とその意義」の解説
11月の始めには、連合艦隊は壊滅同然となった。2隻の戦列艦がフィニステレで失われ、トラファルガーの海戦とその後の嵐で21隻を失い、オルテガル岬でも4隻が失われた。これらの海戦では、イギリス艦は1隻たりとも失われなかった。フランスやスペインの手中に残された多くの艦は損傷が激しく、しばらくは任務に用をなさなかった。イギリスは勝利によって、この19世紀のほとんどにおいて、海上の確固たる支配権を獲得し、イギリスの貿易を確実なものとし、大英帝国を維持することができた。ナポレオンが、陸軍同様に自ら先導したフランス海軍の相次ぐ失敗は、フランスによるイギリスへの侵攻を実現させなかった。すでに侵攻計画は何度か先送りされてはいたが、フィニステレでのヴィルヌーヴの完敗、ロシュフォールとブレストの艦隊の連携の決定的な失敗は、ナポレオンに計画を破棄させ、東への遠征の方を選ばせた。双方合わせて74艦を動員したトラファルガーの海戦は、ナポレオン戦争では最後の大規模な海戦であった。これ以降は、一番大きな規模の戦闘であっても、12隻以上の規模での戦闘はなかった。1805年以後、フランス海軍の士気は崩壊し、一方でイギリスにより継続中の港の封鎖は、彼らから能力と意志とを奪い去ったその何年か後、ナポレオンは再びイギリス侵攻計画の可能性を持ち出しはしたものの、誰の関心も惹かず、何の決定もなされなかった。作戦遂行に失敗した海軍の存在はナポレオンを幻滅させ、同時にフランスの指揮官の臆病さと、このフランスに対抗するイギリスの決断力、この2つが、トラファルガー戦役の間中、様々な部分で浮上し、この作戦でフランス海軍は目的も方向性も失ったまま置き去りにされてしまった。
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