アルゴス占領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/18 16:25 UTC 版)
しかし、その時アカイア同盟は内部分裂の危機にあった。同盟離脱の意向を持った都市がいくつも現れ、マケドニア人を呼びこんだアラトスに憤りを感じる者もいたのである。この機に乗じてクレオメネスはアカイアに侵攻し、まずアカイア東部のペレネを強襲して占領し、続いてアルカディア北辺のペネオスとペンテレイオンを味方につけた。一方アカイア人はその時コリントスとシキュオンで裏切りの気配があったのでアルゴスからそちらへ軍を送っていた。 その時アルゴスではネメア祭が開催されており、クレオメネスは祭りで大勢の人がいる時にそこを襲えば容易にアルゴスを占領できると考えた。彼は夜中に劇場を見下ろすアスピス地域に軍を向わせてそこを占領し、誰一人立ち向かう者もなく易々とアルゴスを占領した。アルゴスはスパルタの駐屯軍を受け入れ、20人の市民を人質として差し出し、スパルタの同盟国になった。これまでアルゴスを味方に引き入れたスパルタの王はおらず、名将として名高いエピロス王ピュロスでさえアルゴスを占領できず、同地での戦いで敗死したことから、アルゴス占領によってクレオメネスの名声と評価は一気に高まった。そして、アルゴス陥落のすぐ後にはクレオナイとフレイウスがクレオメネスになびいた。 その頃アラトスはコリントスで親スパルタの人々の審問などを行っていたが、この知らせを聞くやコリントスもがスパルタになびくと思い、市民を評議場に集めて自分はその隙にシキュオンへと逃げ帰った。アラトスの予想は的中し、コリントス人は間もなく市をクレオメネスに明け渡した(紀元前225年8月)。この知らせを聞いたクレオメネスはコリントス人がアラトスを逮捕しなかったことを責め、使者としてメギストヌウスを送り、未だアクロコリントスにはアカイアの守備隊が残っていることからこれを明け渡せば多額の金を渡すことを知らせた。 その後、クレオメネスはトロイゼン、エピダウロス、ヘルミオネを味方につけ、コリントスにやって来た。そしてアクロコリントスを包囲・封鎖し、アラトスの許へアクロコリントスをアカイアとスパルタとで共同で管理すること、これを受ければアラトスに彼がエジプト王プトレマイオス3世より受けている二倍相当の年金を与えるとの約束を携えて使者を送った。ここでアラトスはアクロコリントスをスパルタに渡すか、対クレオメネス戦への援助の見返りとしてアンティゴノス3世に渡すかの選択を迫られた。彼は後者を選び、自身の息子を含めた人質をアンティゴノスに送り、アカイア人を説得してアクロコリントスのアンティゴノスへの引渡しを決議させた。これを受け、クレオメネスはシキュオンの領地を荒らしまわり、コリントスにあったアラトスの財産をコリントス人たちが彼に献上したのでそれを受け取った。
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