アメリカ合衆国との比較
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 02:17 UTC 版)
「ソビエト連邦」の記事における「アメリカ合衆国との比較」の解説
1989年時点における米ソの比較1990年のザ・ワールド・ファクトブックに基づくデータ。 ソビエト連邦 アメリカ合衆国GDP(PPP,1989年 – million $) 2兆6,595億ドル 5兆2,333億ドル 人口(1990年7月) 約2億9,093万人 約2億5,041万人 1人あたりのGDP(PPP,$) 9,211ドル 21,082ドル 労働力(1989年) 約1億5,230万人 約1億2,555万人 ソビエト連邦はアメリカとは同レベルのGDPでなかったが、アメリカ以上に巨大な面積と資源で超大国としての地位を得ていた。アメリカと対等レベルの核兵器を保有しているとみられていたために、直接対決だと共倒れを招くために自国の軍事行動にアメリカを介入させることはできなかった。国内総生産、また1人あたりのGDPもアメリカの2分の1から3分の1ほどであった。 国民の生活レベルを犠牲にして、ひたすら重工業投資と、軍事支出に資源を集中していた。1950年代に約15%だったソ連の投資率は、1980年代には30%に達し、軍事費率もある推定では1980年代中頃には16%に達していた。1970年代以降、コンピュータや半導体といったハイテク部門の重要性が増すと、重工業優先のソ連ではその技術を導入するのが困難となり、技術進歩率は停滞、ついには設備の老朽化と相まって1980年代には技術進歩率はマイナスに陥ってしまった。 ソ連の経済は1950年代から1960年代の初頭まで目覚しいペースでアメリカの国力を追い上げており、「20年以内にアメリカを追い抜く」というフルシチョフの強気の発言も信じられていたが、1960年代に入るとそのペースは一服したものの、1975年にソ連の相対的な国力は対米比45%と頂点に達した。しかしその後は衰退局面に入り、逆にアメリカとの相対的な国力の差は拡大していった。 ソ連崩壊後、ロシアの軍事力と経済力は急激に衰え、アメリカとは1人当たりのGDPと軍事費において大きく差をつけられた。さらに経済混乱の影響で、国民は最低限の生活も保障されず貧しさで苦しんだため、親米的でペレストロイカを行ったゴルバチョフを、「アメリカに魂を売った売国奴」や「裏切り者」と酷評する声も多い。
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