アイルランド大統領として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:56 UTC 版)
「エイモン・デ・ヴァレラ」の記事における「アイルランド大統領として」の解説
憲法改正へのデ・ヴァレラの最後の取り組みは、比例代表制を廃して直接選挙を行うというものだったが、国民投票の結果否決された。1959年6月、デ・ヴァレラは対立候補ショーン・マクイオン将軍を破り、ショーン・オケリーの後任として大統領に就任した。デ・ヴァレラがほとんど盲目であったことは有名であるが、彼の視力を補う専任のスタッフがいることは長らく秘密とされていた。そのスタッフは常にデ・ヴァレラに従って、何歩歩くと何があるとか、どこに視線を向けるべきかなどをささやいていた。大統領在職中、デ・ヴァレラはシャルル・ド・ゴール大統領やジョン・F・ケネディ大統領といった各国の首脳の訪問を受けた。1964年、81歳のデ・ヴァレラはアメリカを訪問し、議会で25分の演説を行っている。 デ・ヴァレラは、彼にとって最後の選挙となった1966年の大統領選挙において、かろうじて勝ったことで敗北の屈辱を免れることができた。フィン・ゲール党の若き候補トム・オ・ヒギンスとの差はごくわずかだった。あまりに危うい勝利だったため、デ・ヴァレラはその責任が、選挙担当で後に首相になるチャールズ・ホーヒーにあると考えた。デ・ヴァレラは同僚たちに対し、ホーヒーはいずれフィオナ・フェイルを没落させることになるだろうと語っている。この予言は、1980年代になってホーヒーが汚職に関わった疑いで裁判を受けたことで実現することになる。 デ・ヴァレラは1973年に91歳で大統領職を退いたが、当時世界の元首の中では最高齢であった。63年に及んだ公務の中で、デ・ヴァレラは多くの栄誉を受けている。1921年、アイルランド国立大学総長に選ばれ、その死まで同職にあった。教皇ヨハネ23世からはキリストの騎士勲章を受けている。アイルランドや世界の大学での名誉学位を受けていた彼は、1968年には数学の研究を評価されて英国王立学会数学フェロー位を受けている。また、出席することはなかった北アイルランド議会の議員権も持っていた。デ・ヴァレラは大統領職を、憲法に定められた在職期間の限界にあたる14年間務めて引退した。 デ・ヴァレラは1975年8月29日、92歳でダブリンに近いブラックロックにおいてこの世を去った。最愛の妻で4つ上のシネイド・デ・ヴァレラも彼に先立って1月に世を去っていた。それは奇しくも2人の65回目の結婚記念日の前夜であった。デ・ヴァレラは現在グラスネヴィン・セメタリーで眠る。
※この「アイルランド大統領として」の解説は、「エイモン・デ・ヴァレラ」の解説の一部です。
「アイルランド大統領として」を含む「エイモン・デ・ヴァレラ」の記事については、「エイモン・デ・ヴァレラ」の概要を参照ください。
- アイルランド大統領としてのページへのリンク