アイルランド小作農への補償制度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 07:17 UTC 版)
「ウィリアム・グラッドストン」の記事における「アイルランド小作農への補償制度」の解説
当時のアイルランドは、イングランド産業を害さないように農業以外の産業が育たないよう法律で様々な規制がかけられており、ほぼ農業のみで成り立っていたが、アイルランド農地のほとんどは17世紀の清教徒革命以来、イングランド人の不在地主(英語版)の所有であり、アイルランド人はその下で高い地代を支払う小作農として働き、貧しい生活を余儀なくされていた。アイルランド人小作人が土地に付加価値(開墾して新田を作ったり、小屋を建設するなど)を付けると、不在地主は土地の価値が上がったとして地代を釣り上げ、小作人が地代支払い不能になると、それを理由に小作人を土地から追いだし、残された土地の付加価値は不在地主がただで手に入れるということが横行していた。 グラッドストンはこの問題にも切りこみ、1870年2月にアイルランド土地改革法案を提出した。この法案は地主の抵抗に遭いながらも、保守党党首ディズレーリがこの法案を対決法案としなかったこともあって、法案は決定的な修正がされることなく通過した。 この法律により地主が小作人から理由なく土地を取り上げた場合には地主は小作人に法定の地代相当額を補償金として支払わねばならなくなった。また地代未納を理由とする強制立ち退きの場合であっても裁判所が「地代が法外」と認定した場合には補償の対象となった。また小作人が土地に付加した価値の補償も義務付けたが、これについては強制立ち退きの理由の有無を問わないものとされた。 だが地代未納を理由とした強制立ち退きの際の「法外な地代」に相当するかどうかの裁判所の判定は地主寄りになりやすく、また小作人が土地に付加した価値への補償についても地主は予め小作人との契約でその分の金額を徴収するようになり、支払わないケースが一般的になった。したがってこの法律はほとんど「ざる法」に終わった。
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