アイルランド国教会廃止を公約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 07:17 UTC 版)
「ウィリアム・グラッドストン」の記事における「アイルランド国教会廃止を公約」の解説
1868年2月には首相ダービー伯爵が退任し、ベンジャミン・ディズレーリが後継の首相となった。選挙法改正を成功させたディズレーリだが、保守党が少数与党なのは相変わらずであり、また選挙法改正で生じた自由党内の亀裂も修復されていったので、ディズレーリ政権は不安定なままだった。そのため解散総選挙は近いと予想された。 3月にグラッドストンは「アイルランド国教会廃止法案の準備を今会期で開始し、次会期に法案を提出すべき」とする決議案を議会に提出した。これによってこの会期と来る総選挙の最大の争点はアイルランド問題となった。アイルランド国教会廃止は自由党内でも賛否両論あり、党内の結束力を高める効果があるかは微妙だったが、与党保守党の方がより意見の相違があったので、ディズレーリ内閣を閣内不一致に追い込むのには効果的だった。この決議案の採択をめぐってグラッドストンは今度こそ党内造反議員を出すまいと団結を強く訴えた。その結果この決議案は5月1日に可決された。 本来ならここで解散総選挙か総辞職だが、この時点で総選挙をすると旧選挙法による選挙となり、世論の反発を買う恐れが高かったため、ディズレーリはしばらく解散なしで政権を延命させようとした。解散を振りかざすことで閣内からの総辞職要求や自由党の内閣不信任案提出を牽制した。これについてグラッドストンは議会で議決された決議案の実施を解散権をちらつかせて阻止しようとするとは何事と批判した。しかし自由党内も歩調はあっておらず、結局グラッドストンは内閣不信任案提出を避けた。 7月31日に議会は閉会し、11月に総選挙が行われることとなった。総選挙の最大の争点となったのはやはりアイルランド国教会問題だった。グラッドストンは国教会信徒がほとんどいないアイルランドに国教会を置くことの無意味さを熱弁した。自由党はアイルランド、スコットランド、ウェールズなどで優勢に選挙戦を進め、選挙の結果、112議席の多数を得る勝利を収めた。グラッドストン本人ははじめランカシャー選挙区に出馬したが、ここは国教会が強いので落選し、代わってグリニッジ選挙区(英語版)に鞍替えして無競争で当選を果たしている。 この選挙結果を受けてディズレーリ内閣は新議会招集を待たず12月2日に総辞職した。 [先頭へ戻る]
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