アイルランド国教会廃止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 07:17 UTC 版)
「ウィリアム・グラッドストン」の記事における「アイルランド国教会廃止」の解説
1869年2月に新議会が招集された。グラッドストンは早速アイルランド国教会廃止法案を庶民院に提出した。自由党はアイルランド国教会問題を争点にして総選挙に勝利したのだから、庶民院でこの法案を止められる者はなく、法案は100票以上の大差をもって各読会を通過した。 問題は保守党が恒常的に多数を占める貴族院だった。さすがに総選挙で勝利した法案に表立って逆らうのは貴族院でも難しい情勢だったが、それでも貴族院(とりわけ利害関係のある聖職者議員)は条件闘争を行い、教会の財産問題をめぐって何度も庶民院への差し戻しを行った。だがジョン・ブライトが「貴族院がいつまでも頑固な態度を続けるなら、彼らは不利な立場に追いやられるかもしれない」と貴族院改革を臭わせる脅迫を行ったのが功を奏して、決定的な修正をされることなく、1871年になって法案は貴族院を通過した。 この法案の成立によりアイルランド国教会は公的地位を喪失して自由教会となった。アイルランド人が教会税を納める必要もなくなった。また国教会の残余財産900万ポンドは国教会廃止により損害を被った者への補償に充てることとなった。
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