まつもとじょうとは? わかりやすく解説

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まつもと‐じょう〔‐ジャウ〕【松本城】

読み方:まつもとじょう

長野県松本市にある旧松本藩の城。永正元年(1504)小笠原氏一族島立貞永築城深志城称した。のち、松本城と改称天正18年(1590)入城した石川数正現存天守閣を含む城を造りその子康長がさらに整備して完成天守閣国宝


松本城

名称: 松本城
ふりがな まつもとじょう
種別 史跡
種別2:
都道府県 長野県
市区町村 松本市丸の内大手2丁目
管理団体 松本市(昭6・128)
指定年月日 1930.11.19(昭和5.11.19)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日 平成19.02.06
解説文: 松本市北部ニ位スル平城ニシテ天正年間石川康昌ノ経営ニ係リ其ノ子光長城壘ヲ修築シテ現今規模ヲ成セリト傳フ後小笠原戸田水野諸氏在城シ享保十年戸田光慈入城シテ子孫相継キ明治維新ニ至ル 城構ハ本丸二ノ丸三ノ丸ヲ備ヘ本丸周囲城門ヲ有スル石壁竝城濠ヲ繞ラシ西部五層天守閣三層小天守月見櫓ヲ有シ東南黒門阯ヲ残セリ二ノ丸本丸ノ東及南ニ連リ外濠ノ見ルヘキモノアリテ三ノ丸ハ全ク市街地トナリタルモ外濠溝渠トナリテ諸所遺存セリ
松本城は戦国時代から幕末まで継続して使われ信州代表する近世城郭である。初め深志城呼ばれ甲斐武田氏守護小笠原氏追放し信濃支配拠点としたことから重要性を増すこととなった武田氏滅亡後北から上杉氏が、南から徳川氏信濃支配をめざすが、徳川氏支援得た小笠原氏奪取し城下町経営進めた天正18年(1590)の家康関東移封に伴い小笠原氏替わって豊臣大名である石川数正入部し、数正・康長父子により城と城下町建設大きく進展した関ヶ原の戦後は、小笠原戸田松平堀田水野戸田氏めまぐるしく藩主交代し明治維新迎える。外周総堀めぐらし内側三の丸を置く。その北寄りに外堀があり、内側二の丸、さらにその内側の東・南・西に内堀掘り本丸を置く。三の丸南側総堀のすぐ南に女鳥羽川総堀並行して東から西流れ二重のとしての役割果たしていた。本丸西南隅には国宝松本城天守がある。松本市教育委員会平成11年に「松本城およびその周辺整備計画」を策定し史跡整備進めている。追加指定地は西総堀土塁一部であり、開発計画に伴い、市教育委員会発掘調査実施したその結果石川氏による築城時ののである考えられる至ったことから、追加指定行い保護万全を期そうとするものである
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