万内川七号及び八号堰堤
![]() |
|
文化財としての特徴 | 万内川流域では、明治35年の粟立山の大崩壊により多量の土砂が流出し下流の西野谷地区で大きな被害をうけました。このため、砂防事業として大正15年に着手し、現地の石を利用した手作業による空石積構造であったが、昭和初期の被災により練石積に補強しており、現在でも周囲の景観ともよく調和し、また、砂防機能も維持しています。 |
![]() ※地図をクリックすると大きく表示されます。(pdfファイル 12K) |
万内川七号及び八号堰堤
名称: | 万内川七号及び八号堰堤 |
ふりがな: | ばんないがわななごうおよびはちごうえんてい |
登録番号: | 15 - 0149 |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 所 |
構造: | 重力式石造及びコンクリート造堰堤、堤長42m及び50m、堤高3.0m及び3.2m、下流両側護岸及び副堰堤付 |
時代区分: | 大正 |
年代: | 大正15頃/昭和8頃改造 |
代表都道府県: | 新潟県 |
所在地: | 新潟県妙高市大字西野谷 |
登録基準: | 再現することが容易でないもの |
備考(調査): | |
施工者: | |
解説文: | 万内川中流域に位置する。2基の堰堤を隣接させて同時期に建設したもので,八号堰堤下流側に水叩きと石積護岸を連続させて,七号堰堤下流側には副堰堤を配する。七号堰堤上流右岸側から灌漑用水を取り込み,取水堰堤としての機能を有する類例の少ない構造物。 |
- ばんないがわななごうおよびはちごうえんていのページへのリンク