これは時雨だ樅の木の謙虚な守り
作 者 |
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季 語 |
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季 節 |
冬 |
出 典 |
悪の種 |
前 書 |
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評 言 |
時雨が卒然と作者を濡らし、樅の木を濡らす。 かつて〈雲は猶さだめある世の時雨かな 心敬〉〈世にふるもさらに時雨の宿りかな 宗祇〉と、戦国の連歌師領袖が時雨に託した述懐を〈世にふるもさらに宗祇のやどり哉〉と受けた芭蕉に到って、「時雨」の二字は消えた。季語にも進化があるとすれば、「時雨」はこの時期に進化の一頂点に到達した語ではなかったか。そして今「これは時雨だ」と感受されて、俳諧伝統の情趣の衣を脱いだ季語感覚が新たな飛翔をはじめた。 樅の木…マツ科の常緑大高木で、建築や家具、柩その他、用途は多い。昔、知恵の木の林檎に代わりクリスマスツリーになったのは、降誕祭の折、冬でも青々と茂るその木に禁断の実を飾るためだった(O.クルマン著『クリスマスの起源』)。 新刊の句集『悪の種』は、章立てを「暖かいころ・暑いころ・冷ややかなころ・寒いころ」として、見開きの頁(6句掲載)ごとにテーマを掲げているが、掲句はテーマ「リトアニアⅡ」の一句である。そのことを知ると、「樅の木の謙虚な守り」は別の面も見せてくれる。 バルト三国の一つリトアニア共和国が太平洋戦争の折に遭遇した、ドイツと旧ソ連軍の侵攻による複雑困難な状況の理解は、俄か勉強では全く追いつけぬが、生きて故郷リトアニアに留まることに命を賭したパルチザンは、土地の人々に「森の兄弟」と呼ばれたそうだ(畑中幸子著『リトアニア―小国はいかに生き抜いたか』)。 当時この地に駐在した外交官の杉浦千畝が、日本のビザを発給してユダヤ避難民の脱出を助けたと聴くが、ドイツの征服を免れたのは森の深さによるとも言われている。 森は、樅の木は、銃もビザも持たず、ただ静かだ。 気象予報士を志したこともある作者にとって、明治以来の日本地図にも影響したシュトルーヴェの測地弧(世界遺産・子午線弧長の三角測量のために設置された観測点群)や、同国の創作文学の礎となったK・ドネライティスの国民的叙事詩『四季』の存在は、格別懐かしいものであったかもしれぬ。 |
評 者 |
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備 考 |
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