朽木昌綱(くちきまさつな 1750-1802)
朽木昌綱は江戸後期の丹波福知山藩朽木家の八代当主で、23歳のころ前野良沢に師事し蘭学を学び、大槻玄沢や杉田玄白、オランダ商館長ティチングらと交友があった。茶道や花鳥山水画をたしなみ、文人としてもよく知られる。地理書「泰西輿地図説」(1789)全6冊17巻の著者でもある。同書は、江戸期の蘭学者がよく参照したドイツ人ヒュプネル(1668-1731)の地理書「一般地理学(通称ゼオガラヒー)」(1769)からの抄訳を主としたものである。その内容は、ヨーロッパの風土、人口、言語、主要国14か国の地勢、国情、そして地図(世界図、国別地図、都市図)などからなる。杉田玄白の「蘭学事始」(1815)の中には、「(福知山)候専ら地理学を好み給ひ泰西図説の訳編あり」とある、その人である。
その他の著作としては、「西洋銭譜」(1787)があり、古銭蒐集とその研究者としても知られている。
このように朽木昌綱は、初め古銭収集・研究の補助としての地理学への関心があって、その後次第に地理学研究への関心へと変化したように思われる。当時、身分を超えてオランダ趣味を愛好する、いわゆる「蘭癖」の者である。地図測量に関連して思い浮かぶのは、地方遍歴のことから地図作製へと進んだ松浦武四郎(1818-1888)のことである。彼も後年には、古銭蒐集や考古学に興味を示した。

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