『連続アクチュアルドラマ・部長刑事』時代
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「部長刑事」の記事における「『連続アクチュアルドラマ・部長刑事』時代」の解説
最初のシリーズである「連続アクチュアルドラマ・部長刑事」は、関西を中心に活躍する俳優やタレントが出演、毎回原則として1話完結(作品によっては複数週を跨ぐものもあった)で大阪の庶民的な観点から様々な事件の犯人などの人間模様を描き続けた。フィルムで製作されたオープニングのタイトルバックには、かつて大阪府警察本部刑事部捜査第一課で「浪速のコロンボ」とまで呼ばれた名刑事、森川覚一郎(1975年3月定年退官)の眼光鋭い目と足が使われていた。なお森川は、本作初期の頃に演技指導も務めていた。 放送開始当初から1964年末までは生放送で制作されていた。当然やり直しはきかず、入念にリハーサルを行ったにもかかわらず本番で台詞を忘れるタレントが続出した。特に初代部長刑事の中村栄二はよく台詞を飛ばし、タバコを吸ってごまかしていた。また、カメラに映らない椅子の後ろや柱に書き込んでおいた台詞(カンニングペーパー)をスタッフに消されて、当てにしていたタレントが台詞に詰まって慌てたり、死体役が瞬きするなど、本番中のハプニングは頻繁に発生していたようである。第324回『よごれた血』(1964年12月12日放送)から、VTRによる収録に変わった。視聴率は1959年6月の調査では42.8%、機械による調査に変わってからも1967年9月23日放送の第467話『殺意の瞬間』が30.5%と1950年代 - 1960年代では高視聴率を続けた。 1982年に短期間ながら月1回ペースで、組織暴力検挙を目的とした「捜査第四課」を主人公に据えたシリーズ回が製作された。 筒井康隆が脚本を書いた回が2回ある。 もうひとつの動機(第1100回、1979年11月24日放送) 刑事たちのロンド(第1300回、1983年9月24日放送) これらの脚本はそれぞれ、放送後に『SFアドベンチャー』に掲載され、さらに筒井の戯曲集『筒井康隆劇場 ジーザス・クライスト・トリックスター』(1982年、新潮社)、『筒井康隆劇場 スイート・ホームズ探偵』(1989年、新潮社)に収録された。 この他に、年1回シナリオコンクールが開催され、最優秀作品には賞金50万円と、ドラマ化の権利が与えられた。1984年以降は主役の部長刑事を2人に増やし、所属班も2つに分けて回毎にローテーションで出演させるという『特別機動捜査隊』で見せた手法が用いられた。こうした歴史のもと、番組は30年1600回以上という連続ドラマとしては前人未到の記録を打ち立てた。
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