『短歌研究』、『短歌』の6月号掲載
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「中城ふみ子」の記事における「『短歌研究』、『短歌』の6月号掲載」の解説
中井は5月15日にふみ子から送られた改作した30首を受け取っている。中井は当初の予定通り、ふみ子の歌30首を「優しき遺書」と題し、「短歌研究」6月号に掲載する。そして「短歌」6月号には、川端康成の推薦文と選歌を担当した宮柊二の感想付きの「花の原型」51首が掲載された。新人歌人としてはおおよそ考えられない待遇であった。川端の推薦文の多くはふみ子が書いた手紙からの引用で占められ、そのことについてふみ子は落胆を隠さなかったが、川端はもとよりふみ子の境遇に同情して角川に口をきいたわけでは無く、作品を純粋に評価しての行為であった。 ただでさえ歌壇はふみ子の「短歌研究」五十首応募特選の是非を巡って論議が沸騰していた。そこに文壇で名を成していた川端康成の推薦文付きで「短歌研究」のライバル誌、「短歌」にも作品集が掲載されたのである。しかもふみ子の歌の主要テーマは愛と死といういわば文学の永遠のテーマそのものである。更に騒ぎを増幅したのは五十首応募次席の石川不二子の作品は、清純でぶっきらぼうな中に女性の優しさが光るというふみ子と対照的な作風であり、おかげで歌壇は大いに盛り上がることになり、結果として全国各地の短歌結社はほとんど全てがふみ子について取り上げるといった事態となった。 一方、「短歌研究」6月号に発表された「優しき遺書」は、乳房を失いながらも無傷の背中で美しさを主張する女の情念を詠んだ 葉ざくらの記憶かなしむうつ伏せの我の背中はまだ無瑕なり など、五十首応募特選に恥じぬ、高い実力が遺憾なく発揮されたものであった。 「短歌」6月号での「花の原型」と「短歌研究」6月号の「優しき遺書」の発表以降、歌壇の風向きが変わってきた。ふみ子の実力が確かなものであるとの認識が次第に浸透し始めてきたのである。この頃になると短歌愛好家である大衆の支持が歌壇の批判を圧倒するようになっていた。短歌結社の中には、若手のほとんどがふみ子の短歌を支持する姿を見て、主催者が激怒するという事態も起きていた。
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