『日蝕』と佐藤亜紀『鏡の影』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 09:06 UTC 版)
「日蝕 (小説)」の記事における「『日蝕』と佐藤亜紀『鏡の影』」の解説
「佐藤亜紀#新潮社との関係途絶の経緯」も参照 2000年3月、作家の佐藤亜紀は自身のウェブサイトにおいて、『日蝕』が1993年の自著『鏡の影』の「ぱくり」であることを示唆する文章を発表し 、月刊誌の『噂の眞相』2000年6月号および8月号がゴシップ記事としてこれを取り上げた。佐藤が主張するところによれば、1998年に芥川賞候補作となった『日蝕』と、中世ヨーロッパを舞台にした「異端とされる知識を探求する僧侶が、答えを得た瞬間にその意味を見失うという鮮烈なプロット」をもった『鏡の影』が読み比べられないように、同年に新潮社が後者を絶版にしたというのである。また佐藤はブレヒト『ガリレイの生涯』などの作品をいくつか挙げ、「異端な探求もの」というジャンルがすでにほぼ確立されたものであり、数年前に国内の同じ出版社からだされている自身の作品を平野が『日蝕』を書く上で読んでいないはずがない、という主張もしている。 一方で平野は自身のブログにて「(「鏡の影は)1行も読んだことがない」として疑惑を否定しており、佐藤の主張が妄想に根ざしており客観的な根拠が欠如していることを指摘し、『鏡の影』が絶版になったのも単に売れなくなったからであろうと主張している。作家の山之口洋はこの疑惑をやや否定的にみる形で若干の「検証」をし、細部においていくつか造形が似ていることを指摘しているが、両者の目指す方向性自体がかなり違うと述べている。 平野は、佐藤の主張が『噂の眞相』1誌を除いて概ねマスコミから無視されていたことから、強い不快感を覚えつつも法的手段を用いて佐藤に反論することはしなかったと述懐している。この疑惑を機に佐藤亜紀は自身の作品全ての版権を新潮社から引き上げたが、新潮社による公式な声明などは出されていない。
※この「『日蝕』と佐藤亜紀『鏡の影』」の解説は、「日蝕 (小説)」の解説の一部です。
「『日蝕』と佐藤亜紀『鏡の影』」を含む「日蝕 (小説)」の記事については、「日蝕 (小説)」の概要を参照ください。
- 『日蝕』と佐藤亜紀『鏡の影』のページへのリンク