『日本風景論』に対する評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/05/18 05:12 UTC 版)
「日本風景論」の記事における「『日本風景論』に対する評価」の解説
『日本風景論』が出版された当時は、欧米の帝国主義に基づく植民地政策によって、アジア各国において、アジア・ナショナリズムが高揚していく情勢に合った。日本はそのうちには入らないが、近代化に伴う中央集権化によって、ナショナリズムの高揚は同様になされていた。そのなかで、風景論を説くということは、故郷に対するノスタルジアを喚起させ、それを強く印象付けることで、愛国心を養う働きをもった。また、日本を優位におく姿勢から、主戦論的な立場を宣伝する役割も担い、他のアジア大陸にある国々に対する強硬な姿勢を生みだすことにも貢献した。 著作権法が制定されていない1894年当時ではあったが、志賀は洋書などからの剽窃を行っていることが、細かく『日本風景論』をみてみるとわかる。特に火山に関する記述において、科学的根拠に基づいたものと、そうでないものがあるが、それは志賀が文献を収集できたかできないかによる。文献を収集できなかった項目については、単なるナショナリズムを高揚させるための文章で埋められている。
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