『日本紀』
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『日本書紀』は元々『日本紀』だったという見解は江戸時代に国学者伴信友が唱え、その後20世紀に入るまで通説として扱われた説である。その論拠は、『続日本紀』の上記養老四年五月癸酉条記事に「書」の文字がなく日本紀と記載があること、以後の日本の国史が『続日本紀』『日本後紀』のように「日本紀」の名を取っていることにある。しかし、元々の名前が『日本紀』ならば、なぜ後世に「書」字が加えられて『日本書紀』となり、さらにはこの新しい名前の方が正式な名前として扱われるに至ったのかが説明し難いこと、『万葉集』注釈などの奈良時代の書籍や『日本後紀』のような平安時代初期の書物にも「日本書紀」の用例が見えることなどから、近代以降見直しが進められた。「書」字の追加について、国文学者折口信夫は日本では中国の『漢書』『後漢書』に倣い、『日本書』が構想されたという見解を出した。中国では紀伝体の史書を「書」(『漢書』『後漢書』など)と呼び、帝王の治世を編年体にしたものを「紀」(『漢紀』『後漢紀』)と呼んでいた。従って折口は、『日本書』の一部として「紀」が作られるはずであったが、それが実現せず部分として構想された「帝王本紀」だけが完成を見たために『日本紀』と名付けられたとした。
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