卜部懐賢とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 宗教 > 神道 > 神道家 > 卜部懐賢の意味・解説 

うらべ‐かねかた【卜部懐賢】

読み方:うらべかねかた

鎌倉中期神道家古典学者。名は兼方とも。著「釈日本紀」など。生没年未詳


卜部兼方

(卜部懐賢 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/24 15:49 UTC 版)

 
卜部兼方
時代 鎌倉時代中期 - 後期
生誕 不明
死没 不明
別名 懐賢
官位 正四位下神祇権大副
父母 父:卜部兼文
兼彦
テンプレートを表示

卜部 兼方(うらべ の かねかた/やすかた)は、鎌倉時代中期から後期にかけての官人・神道家。名は懐賢とも。神祇権大副・卜部兼文の子。子に兼彦がいた。官位正四位下・神祇権大副、平野神社社務。

経歴

父・兼文ら平野社系卜部氏に代々伝わる家説と奈良時代以降の数々の『日本書紀』注釈を基に『釈日本紀』を著し、後に吉田神道に大きな影響を与えた。『釈日本紀』との関係を示す兼方の書写になる弘安9年(1286年)の奥書のある『日本書紀』神代巻二巻の卜部家本が、京都国立博物館に所蔵されている(国宝)[1]

弘安10年(1287年)2月から正応元年(1288年)2月にかけて山城守に任ぜられていたという記録がある[2]

卜部氏は古代の祭祀貴族の一つで、卜占(ぼくせん)による吉凶判断を業としていた氏族である。大中臣氏と共に代々神祇大副・少副を継承した。平安時代中期には平野社系と吉田社系の二流に分かれ、兼方の平野社系は卜部氏始祖卜部平麻呂が平野社領となっていることから本来なら宗家の立場であるが、吉田神社が藤原氏の氏神であることもあり勢力は二分され、氏長者も二流が交替で受け継ぎ、それぞれ家学として日本書紀等の古典の研究をしていた。

室町時代に入り、吉田社系が公卿を出したこともあり盛んになると、平野社系は衰え、兼方の8代孫兼緒の代で絶えた。平野社系は、吉田社系から兼永が養子に入り継承し、その子孫が藤井充行の代以降藤井家を称し堂上家となっている。

脚注

関連項目




卜部懐賢と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「卜部懐賢」の関連用語


2
卜部 デジタル大辞泉
100% |||||

卜部懐賢のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



卜部懐賢のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの卜部兼方 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS