『新増東国輿地勝覧』の于山島とは? わかりやすく解説

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『新増東国輿地勝覧』(1530)の于山島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 07:33 UTC 版)

于山島」の記事における「『新増東国輿地勝覧』(1530)の于山島」の解説

1530年編纂された『新増東国輿地勝覧』では于山島鬱陵島併記し添付江原道地図には于山島を鬱稜島の西に描いている。しかし鬱陵島の西にはその様な島は存在しない本文にもある通り一説に本来一つの島であるとしていることから、鬱稜島を二島誤認していたことが分かる。 この文章には「天候清明であれば山頂樹木及び山麓海岸歴々見ることができる。」という一文がある。韓国では、この一文竹島独島)から見た鬱陵島だと主張しており、日本では朝鮮本土から見た鬱陵島であるとする説もある。しかし、どちらも実際に快晴であっても山頂樹木山麓海岸歴々見ることはできない。そのため、これは過去の『高麗史』や『世宗実録』を参考に、鬱陵島の西にあるとされる鬱陵島から見た于山島の噂をそのまま加筆記載したものと考えられている。「三つの峰が及業(きゅうぎょう)として空を支え、南の峰はやや低い。」「于山鬱陵は本来一つの島で百里(約40km)四方ある。」の部分鬱陵島様子示しており、また「風が良ければ二日到達できると言う部分では、当時の船で朝鮮本土から鬱陵島まで二日日本側の資料竹島鬱陵島)から松島現在の竹島)まで一日かかるので、于山島鬱陵島朝鮮本土から行鬱陵島考えられる現在の竹島于山島とする説では、距離だけでなく添付地図位置大きさも全く違い、その可能性極めて低い。 1760年代編纂された『輿地図書』では、「欝陵島 一羽陵 島在府東南海中 三峯岌業掌空 南峯稍卑 風日清明則峯頭樹木山根沙渚歴々可見」と新増東国輿地勝覧とほぼ同じ記述内容をもって「鬱稜島」の説明としている。なお、1690年代起きた鬱陵島当時日本ではこの島を竹島呼んでいた)をめぐる日本朝鮮との領有問題竹島一件)の生じた時には当時朝鮮はこの一文理由鬱陵島古来より朝鮮本土から見えていたので朝鮮領だと主張している。 原文新増東国輿地勝覧巻之四十五 蔚珍于山島 欝陵島 一云武陵 一云羽陵 二島県正東海中 三峯及業掌空 南峯卑 風日清明則峯頭樹木山根沙渚 歴々見 風便則二日可到 一説于山 欝陵 本一島 地方百里 翻訳新増東国輿地勝覧巻之四十五 蔚珍于山島 鬱陵島時に武陵或いは羽陵とも呼ばれ二島は県の真東海中在る三つの峰が及業(きゅうぎょう)として空を支え、南の峰はやや低い。 天候清明であれば山頂樹木及び山麓海岸歴々見ることができる。風が良ければ二日到達できる一説于山鬱陵は本来一つの島で百里(約40km)四方ある。

※この「『新増東国輿地勝覧』(1530)の于山島」の解説は、「于山島」の解説の一部です。
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