『新唐書』宗室世系表の李信とは? わかりやすく解説

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『新唐書』宗室世系表の李信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 18:41 UTC 版)

李信」の記事における「『新唐書』宗室世系表の李信」の解説

以下の本節『新唐書』宗室世系表上(以下、宗室世系表と略す)という史料基づいて記述する宗室世系表は唐の皇帝の一族とされる隴西李氏族譜をもとに宋代成立した記録であり、その内容には唐の宗室出自家格高貴化するための粉飾があると考えられている。 宗室世系表によると、隴西李氏は嬴姓の出自であり、顓頊高陽氏の子孫とされている。李信祖先には、李耳老子)の名がみられる李信祖父李崇は、字を伯祐といい、秦の隴西郡守・南鄭となった李信の父の瑤は、字を内徳といい、秦の南郡郡守狄道となった李信は字を有成といい、秦の大将軍隴西となった李信の子超は、またの名を伉ともいい、字を仁高といい、漢の大将軍漁陽太守となった超にはふたりの男子があって、長男元曠といい、漢の侍中となった超の次男仲翔といい、漢の河東太守征西将軍となり、反乱起こした羌を素昌で討伐して戦没した。仲翔は太尉の位を追贈され隴西郡狄道県東川葬られたことから、李氏はここに家をかまえた仲翔の子伯考は漢の隴西河東二郡太守となった伯考の子李尚が、漢の成紀県令となり、このため成紀県に居住した李尚の子が、漢の前将軍李広であるとされる李広以下の子孫の記録は、五胡十六国時代西涼李暠へと続き唐の高祖李淵にいたる。また宗室世系表以外では李白前述李暠九世の孫と記されている。 漢の李広祖先李信であることは、『史記李将軍列伝にも見られるが、宗室世系表に見えその間4代については全く古い史料の裏づけがない。李信自身についても、字や官爵のことは他に見られない李信父祖についても同様である。

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