『巴里の女性』と『黄金狂時代』
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「チャールズ・チャップリン」の記事における「『巴里の女性』と『黄金狂時代』」の解説
ファースト・ナショナル社との契約を終えたチャップリンは、ようやく独立したプロデューサーとして自前のスタジオで映画を作り、自分の会社で配給するというワンマン体制を手に入れ、完全に自由な映画作りを行うことができた。そこでチャップリンはパーヴァイアンスを一本立ちしたスターに仕立てるため、ロマンティックなドラマ映画『巴里の女性』を製作した。この作品でチャップリンは監督に徹し、主演はせずにノンクレジットでカメオ出演するにとどまった。チャップリンは俳優に抑制のきいた自然な演技を求め、新しいリアルな演技スタイルを取り入れた。作品は1923年9月に公開され、その革新的で洗練された表現方法で批評家から高い賞賛を受けた。しかし、一般観客はチャップリンが出てこないチャップリン映画に興味がなく、興行的に失敗した。作品の出来栄えに誇りを持っていたチャップリンはこの結果に失望し、すぐに作品を劇場から撤退させた。 チャップリンは次回作でコメディに戻り、『キッド』以上の作品、それも偉大な叙事詩を作ろうと考えた。そこでクロンダイクのゴールドラッシュの写真とドナー隊の悲劇に触発されて『黄金狂時代』を製作した。この作品では小さな放浪者が孤独な金鉱探しになり、逆境に直面しながら黄金と恋を求める姿が描かれている。飢えをしのぐために靴を食べるシーンや、ロールパンのダンス、崖から落ちる山小屋のシーンなど、チャップリン映画で最も有名なシーンのいくつかも含まれている。撮影は1924年2月に開始したが、600人のエキストラを動員したり、豪華なセットや特殊効果を使用したりするなど、製作はより大規模なものになった。撮影日数は約14ヶ月もかかり、製作費は92万ドルを計上した。1925年8月に公開されると全米で500万ドルの興行収入を記録し、サイレント映画で最も高収入をあげた映画の1本となった。ジャーナリストのジェフリー・マクナブは、この作品を「チャップリン映画の典型」と呼んでいる。
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