『天保十二丑とし卯月、日々の記』(『日々の記』)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 15:15 UTC 版)
「甲州日記」の記事における「『天保十二丑とし卯月、日々の記』(『日々の記』)」の解説
天保12年(1841年)4月2日から三泊四日の甲州道中の旅路、4月5日から23日までの甲府滞在の記録で、行程中には広重が旅路で見物した文物のスケッチが混在している。原本は関東大震災で焼失し、現在では刊本の諸本により伝存する。 「日々の記」は1894年(明治27年)頃に飯島虚心が執筆した『浮世絵師歌川列伝』(刊行は玉林晴朗校訂により、1941年に畝傍書房。中公文庫で1993年再刊)や、1912年(明治45年)に『近世文藝叢書〈12巻〉』に収録され、1914年(大正3年)には近藤烏水『浮世絵ト風景画』、1930年に内田実『広重』など、数々の資料集や研究書において翻刻や紹介が成されている。 諸本の翻刻は細部において異同があり、原本が伝存しないため比較対照は不可能であるが、「心おほえ」に関しては『甲州日記写生帳』の発見による対照の結果、『近世文藝叢書』本と内田『広重』が原本に比較的忠実な翻刻であることが指摘されている。 1995年(平成7年)には守屋正彦が内田『広重』を底本に「『天保十二丑とし卯月日々の記』について」『筑波大学芸術学部研究年報』(1995、25巻)で翻刻を行い、『甲州日記写生帳』の発見後の『歌川広重の甲州日記と甲府道祖神祭 調査研究報告書』では髙橋修が『近世文藝叢書』本を底本に飯島本や小島本、内田本との対比を行い翻刻を行い、詳細な注釈を加えている。
※この「『天保十二丑とし卯月、日々の記』(『日々の記』)」の解説は、「甲州日記」の解説の一部です。
「『天保十二丑とし卯月、日々の記』(『日々の記』)」を含む「甲州日記」の記事については、「甲州日記」の概要を参照ください。
- 『天保十二丑とし卯月、日々の記』のページへのリンク