『光点』の評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 00:59 UTC 版)
『光点』に対し、マンガ家の松本大洋は、素晴らしかったと絶賛した上で、「本物の文字書きさんの文章を浴びたようでした。ヒリヒリとかっこ良かった。。。。。」と推薦の言葉を寄せている。 初出時の『光点』の選評では、「小説から絶望的な気配が出ていた」(江國香織)、「何か得体の知れないもの、あたらしいものがはみ出していて、魅力だった」(角田光代)、「主人公のふたりも、その家族も、みんな暗い。というか、たくさんの問題を抱えている。どんな問題なのか。それははっきりしない。人間というものがそこに存在している限り、生ずるはずの問題が、そこにある」(高橋源一郎)など、暗さや絶望感を評価する声の中、「細部の描写や表現に光るものを感じた。(…)想像裏の対象への丹念な観察があって、こうした言葉への粘着こそが物語を小説へ脱皮させる」(奥泉光)とか、「行文には遅滞がないのに、どこかいびつな荒れ球の印象を与え(…)そのまとまりの悪さが、負ではない要素として読者の喉もとに残る」(堀江敏幸)という、小説言語を評価した声もあった。また、奥泉光は、「はっきりとは目に見えない細かいたくらみや工夫や狙いが随所に秘められている」と評価する。 他にも、藤沢周は、同作を「(実以子とカムトの)二人で「ヤシロ」の薄暗い空地へと入り、冷えた土に触り、素手で掘り、また埋める。(…)この二人に意志の疎通があるのかというと、ない。おそらく、共感もない。ただ世界の捉え方を失ってしまった姿に共通点がある」と分析し、ブックディレクター幅允孝は、「この小説は何かが特別なのです。ありふれたモチーフや物語の構成なのに、言葉の抽出の的確さや鋭さで読者を揺さぶります」と書いた。 このように、「気配」(江國)、「隙間」(角田)、「それははっきりしない」(高橋)、「どこか」(堀江)、「はっきりとは目に見えない細かいたくらみや工夫」(奥泉)、と作家・批評家たちが評するように、『光点』には、そこに何かがあることは理解できるのに、それをただちに言語化しえない読者の閾域下に働きかける力のようなものがある。このことに関して、山岡自身も対談で「私自身、自分の作品の感想って、言語化できないんじゃないかと思っていたんです」と話し、奥泉の深い読みを歓迎している。 さらに、蓮實重彦は「『光点』の構造をほぼ透視する。地面を踏みつけるある少女の足の裏に向けられた視覚的な記憶と、「わたし」自身の素足で地面に触れる感触とが不穏に通底していると確信したのだ」と、カムトの妹と実以子の(単なる人物配置にとどまらない)テクスト的な構造を分析してみせた。また、「そうした予感をはらむ細部の配置こそが、この優れた小説を他からきわだたせている」と結んだ。
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