『ダーティハリー3』とは? わかりやすく解説

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『ダーティハリー3』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 08:12 UTC 版)

クリント・イーストウッド」の記事における「『ダーティハリー3』」の解説

『アウトロー』撮影終了後、イーストウッドフランシス・フォード・コッポラから『地獄の黙示録』のベンジャミン・ウィラード役のオファー受けたが、フィリピンでの長期間撮影拘束されることを嫌がったため、オファー辞退したまた、ポストからコッポラ同様にベトナム戦争題材にした『戦場』の主演オファーが来たが、これも断っている。イーストウッド『ダーティハリー』第3作製作することに決めたスターリング・シリファントは、サンフランシスコ湾舞台シンバイオニーズ解放軍系の過激派キャラハンアルカトラズ島対決する構想提案したイーストウッドレストランでシリファントと会談し彼の脚本賛意示した。特に女性パートナー迎えたキャラハン戸惑い互いにいがみ合う関係から信頼愛情昇華する関係と終盤で彼女を失う悲しみについて絶賛した。 シリファントは1975年後半から1976年初頭にかけて脚本書き上げ1976年2月脚本イーストウッド提示したイーストウッド脚本受け入れたが、彼はアクションよりも女性パートナー・ケイトとの関係を重点に置きたかったため、ファン期待を裏切るではないか感じていた。彼の懸念払拭するためにリーズナーが脚本書き直し基本的な内容維持しつつキャラハン出番減らし代わりに過激派誘拐され市長登場させた。監督はジェームズ・ファーゴが務め1976年夏からサンフランシスコ湾撮影開始したイーストウッド当初レオーネ撮影手法慣れていたこともあり、ファーゴ撮影手法疑問抱いていた。映画は前2作よりも30分ほど短い96分の作品として完成した1976年12月公開され、約4600ドル興行収入記録するなど、それまでイーストウッド映画の中で最大ヒット作となった。しかし、ヒットにも関わらず批評家からは暴力描写批判対象となり、イーストウッドはThe Harvard Lampoon英語版)の「ワースト・アクター・オブ・ザ・イヤー」に選ばれてしまう。こうした批判も、強い意志を持つ女性警官ケイト・ムーアを演じたタイン・デイリー演技高く評価されたことで覆された。特にフェミニスト批評家は「マルパソは鋼鉄ヒロイン生み出した」と好意的な評価与えハリウッド・リポーターのジェーン・ホルスチャーは強い女性キャスティングしたとして、イーストウッド称賛した

※この「『ダーティハリー3』」の解説は、「クリント・イーストウッド」の解説の一部です。
「『ダーティハリー3』」を含む「クリント・イーストウッド」の記事については、「クリント・イーストウッド」の概要を参照ください。

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