「鶴姫伝説」の知名度上昇の経緯とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 「鶴姫伝説」の知名度上昇の経緯の意味・解説 

「鶴姫伝説」の知名度上昇の経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 15:10 UTC 版)

鶴姫 (大三島)」の記事における「「鶴姫伝説」の知名度上昇の経緯」の解説

三島安精は1963年昭和38年)に紺糸裾素懸威胴丸観察した際、胸部大きく膨らんで腰部細くすぼまった胴の形状見て、同鎧は女性用の鎧ではないか思い付いた三島次いで大祝家の事績綴った社伝の『大祝家記』という文献記されているとされる鶴姫比類無き働き、鎧とともに今に伝はるなり」という一節と同鎧を結び付けて考え紺糸裾素懸威胴丸鶴姫着用した鎧で、父の大祝安用が彼女のためにあつらえたのであるとする説を提唱したうえで、『大祝家記』に記載されているという鶴姫伝記内容紺糸裾素懸威胴丸についての自身着想とを結び合わせ豊富なフィクションで脚色した悲劇ロマンス小説の『海と女と鎧 瀬戸内ジャンヌ・ダルク』を1966年執筆出版した同書刊行から2年後1968年昭和43年)、甲冑武具研究家笹間良彦が、三島大山祇神社側の見解を「直感」で肯定して紺糸裾素懸威胴丸着用した姿の鶴姫肖像画描き同社奉納したところ、これが人気集め、同画は大三島観光ポスター地酒ラベル土産物煎餅饅頭の箱のデザイン広く利用されるようになった。これにより、それまで島民さえもその存在知らなかった鶴姫は「大三島観光の宝」ないし「島のシンボル」的存在としてその知名度高めていき、1990年平成2年3月には、ふるさと創生事業の下で「国宝ロマンの島」をキャッチフレーズに町のイメージ形成注力していた当時大三島町現・今治市)により彼女の銅像公園設置された。さらに1993年平成5年)、『海と女と鎧 瀬戸内ジャンヌ・ダルク』を原案としたテレビドラマ鶴姫伝奇 -興亡瀬戸内水軍-』が放映されたことで、鶴姫の名は全国的に知られるようになった大三島では、1995年平成7年)より鶴姫一生題材にした「三島水軍鶴姫まつり」が毎年行われている。そのほか2009年平成21年4月から2010年平成22年3月にかけて、ミュージカルの『鶴姫伝説-瀬戸内ジャンヌ・ダルク』(高橋知伽江作・作詞)が愛媛県東温市坊っちゃん劇場にてわらび座により1年間ロングラン公演され、のべ87千人余を動員した2014年平成26年11月より2016年平成28年1月まで再演)。

※この「「鶴姫伝説」の知名度上昇の経緯」の解説は、「鶴姫 (大三島)」の解説の一部です。
「「鶴姫伝説」の知名度上昇の経緯」を含む「鶴姫 (大三島)」の記事については、「鶴姫 (大三島)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「「鶴姫伝説」の知名度上昇の経緯」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「「鶴姫伝説」の知名度上昇の経緯」の関連用語

「鶴姫伝説」の知名度上昇の経緯のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



「鶴姫伝説」の知名度上昇の経緯のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの鶴姫 (大三島) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS