「鶴姫伝説」の知名度上昇の経緯
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「鶴姫 (大三島)」の記事における「「鶴姫伝説」の知名度上昇の経緯」の解説
三島安精は1963年(昭和38年)に紺糸裾素懸威胴丸を観察した際、胸部が大きく膨らんで腰部が細くすぼまった胴の形状を見て、同鎧は女性用の鎧ではないかと思い付いた。三島は次いで、大祝家の事績を綴った社伝の『大祝家記』という文献に記されているとされる「鶴姫の比類無き働き、鎧とともに今に伝はるなり」という一節と同鎧を結び付けて考え、紺糸裾素懸威胴丸は鶴姫が着用した鎧で、父の大祝安用が彼女のためにあつらえたものであるとする説を提唱したうえで、『大祝家記』に記載されているという鶴姫の伝記の内容と紺糸裾素懸威胴丸についての自身の着想とを結び合わせ、豊富なフィクションで脚色した悲劇ロマンス小説の『海と女と鎧 瀬戸内のジャンヌ・ダルク』を1966年に執筆・出版した。 同書の刊行から2年後の1968年(昭和43年)、甲冑武具研究家の笹間良彦が、三島や大山祇神社側の見解を「直感」で肯定して紺糸裾素懸威胴丸を着用した姿の鶴姫の肖像画を描き、同社へ奉納したところ、これが人気を集め、同画は大三島の観光ポスターや地酒のラベル、土産物の煎餅や饅頭の箱のデザインに広く利用されるようになった。これにより、それまで島民さえもその存在を知らなかった鶴姫は「大三島の観光の宝」ないし「島のシンボル」的存在としてその知名度を高めていき、1990年(平成2年)3月には、ふるさと創生事業の下で「国宝とロマンの島」をキャッチフレーズに町のイメージ形成に注力していた当時の大三島町(現・今治市)により彼女の銅像が藤公園に設置された。さらに1993年(平成5年)、『海と女と鎧 瀬戸内のジャンヌ・ダルク』を原案としたテレビドラマ『鶴姫伝奇 -興亡瀬戸内水軍-』が放映されたことで、鶴姫の名は全国的に知られるようになった。 大三島では、1995年(平成7年)より鶴姫の一生を題材にした「三島水軍鶴姫まつり」が毎年行われている。そのほか、2009年(平成21年)4月から2010年(平成22年)3月にかけて、ミュージカルの『鶴姫伝説-瀬戸内のジャンヌ・ダルク』(高橋知伽江作・作詞)が愛媛県東温市の坊っちゃん劇場にてわらび座により1年間ロングラン公演され、のべ8万7千人余を動員した(2014年(平成26年)11月より2016年(平成28年)1月まで再演)。
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