「血まみれオマハ」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 14:48 UTC 版)
「オマハ・ビーチ」の記事における「「血まみれオマハ」」の解説
ドイツ軍は、重火器による攻撃が可能なように海岸に緩やかな下り坂と、様々な施設を構築、大西洋防壁の準備を行っていた。 オマハビーチを防衛していた第352師団は、そのエリアでは十分な訓練が行われていた部隊で、上陸時の装甲戦力支援の32台の強襲上陸用水陸両用シャーマンDD戦車のうち27台は海岸到着前に荒れた海(戦車は2mもの大波にさらされた)や誤った指示(戦車は海岸の階段状の障害物を正面から進み、脆弱な底面をさらした)、貧弱な指揮(戦車は海岸から5kmも手前から海上の進軍を開始し、この距離は遠すぎた)での損害を出した。 連合国の上陸に先立つ海岸防御陣地への爆撃は大規模に行われたが効果が薄く、ほとんどの爆撃はより内陸側に行われていた。海軍の艦船による艦砲射撃は40分の短時間であったため、同様に効果が薄かった。その結果、最初の攻撃部隊が海岸に上陸した際には、ドイツ軍の防御陣地は大規模に残存していた。即死しなかった兵士たちは(波が穏やかな時で)182mの距離も離れた沖合いに遮蔽物の無い状態で放りだされた。海岸で僅かに防備に利用可能な構造物は事前にドイツ軍により照準をつけられた重火器により無効にされた。しかし濃霧と砲兵からの煙幕弾は海岸における視認性を悪化させ、一部の兵が正面の崖に到着することを可能にした。 十分に計画された攻撃は、風と波と上陸舟艇が目標地点から遠い地点で散逸し混乱状態となった。一部の映画で示される様に、連合軍兵士は、疲労と船酔い、濡れて砂が付着した戦闘服により、障害物の無い砂浜を走ることができなかった。ほとんどが、海岸の岸壁に達するまで、歩くか、小走りで移動した。
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