「血盟団」「血盟団事件」の名前の由来
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「血盟団事件」の記事における「「血盟団」「血盟団事件」の名前の由来」の解説
一般に「血盟団事件」と呼ばれているが、正式名称を「血盟団」としたグループが存在したわけではない。血盟団という名前は、厳密にいえば俗称である。 血盟団という名前は、1930年末に、当時井上日召 (本名、井上昭) が利用しようと考えて関係を深めていた日本国民党が開いた忘年会の席での党委員長寺田稲次郎による次の発言が発端である。 「君たちは南アにおけるダイヤモンドのようなものだ。しかも、血のつながりのあるものだ。血盟された五人だ。(中略) 血盟五人組だ。」 これ以後、井上の周囲に集まったグループを指して、一部の国家主義者たちがひそかに「血盟団」と呼ぶようになった。しかし、井上たちが自称したものでも正式名称でもなく、彼らは自分達に名前を付けることを拒み続けた。 また、事件の新聞報道では当初「血盟五人組」と呼ばれ、その後は「血盟団暗殺団」「血盟団」が使われた。 「血盟団事件」という呼び名は担当検事だった木内曾益(つねのり)による命名である。井上が後年出版した獄中手記『梅乃実』の中には「吾々は団体として何の名目も付けて居なかったが、官憲の方で事件発生後勝手に命名した」と書かれている。しかし、井上はこの呼び名を受け入れたという。 井上日召は自身を中心とするグループに正式名称を付けることを拒否し続けたが、本項目では、慣習に従って、井上日召とそのもとに集まった青年グループを指して「血盟団」という名前を用いる。
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