「肉親にあてた手紙」とは? わかりやすく解説

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「肉親にあてた手紙」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/18 05:34 UTC 版)

石原吉郎」の記事における「「肉親にあてた手紙」」の解説

ノッポチビ』は大野新編集による同人詩誌で、大野が『鬼』の同人でもあったことから石原親交があった。大野は「石原吉郎論」を書こう考えており、1965年石原から大学ノート2冊を借り受けた。このノート1959年から1961年にかけての石原心情つづったのである。 しかし、借り受けたものの、書かれていた内容愕然とした大野は「石原吉郎論」を書くこと放棄せざるを得なくなった2年間の逡巡の後、内容重要性悟った大野は、このノート公開するよう電話石原頼み込んでノッポチビ』への掲載承諾得た石原自身によると、大野強引に頼まれやむなく掲載承諾したのだという。 『ノッポチビ33号には、固有名詞まで含めて一字一句ノート書かれいたものと同じまま掲載された。 特に、この中含まれていた弟宛て絶縁状詩壇越えて大きな波紋広げた例えば、鶴見俊輔は『思想の科学事典』(1969年勁草書房) や『家の神』(1972年淡交社) などの文章でたびたび石原ノートとりあげ日本人精神構造や「家」意識分析用いた石原自身は、後年対談 (鶴見とのではないが) の中で、鶴見自分エッセイばかりを取り上げる、と語っており、詩を考察対象にしなかったことにいくぶん不満だったようである。 なお、この時の大学ノート大野から返却されたが、後に石原紛失してしまい現存しない。また、後に石原が「肉親にあてた手紙」と改題して石原吉郎詩集』(1969年)に再録した際、文章1部削り土肥伊豆に、固有名詞イニシャル変えるなどの変更行っている。 また、このノート掲載石原家庭にも影響与えた掲載事前に知らされていなかった石原の妻は、実名親族の名前を掲載したことで大野に対して激怒し以前から精神的に不安定だったものが更に悪化し以後入退院を繰り返すようになった。 このノート公表から約1年後石原次々とシベリア抑留実態描いた散文発表することになる。石原友人の言によると、石原シベリア抑留まつわるエッセイを「異常な情熱」で書いたという。石原文章歩きながら考える人だったが、エッセイを書くために1日30キロメートル以上も歩いた。そのせいで、足の裏にまめができ、それがつぶれ血だらけになっていた様子が、石原友人目撃されている。 一方、この作業石原精神にも大きな負担をかけることにもつながった執筆中に何度も精神的不安に襲われ飲酒量増加する原因になったという。最終的にアルコール依存症に陥り、治療必要なほど悪化した1969年石原エッセイ確認されない死のなかで」「ある〈共生〉の経験から」(共に『日常への強制所収) を発表するこの年から、シベリア抑留について語った散文本格的に書くようになった石原は、この頃になってシベリア抑留に関するエッセイを書くようになった理由を、帰国してからの混乱した状況では自分表現できる文学的手段は詩の形式しかなく、散文書けるようになるまで15年かかった、と述べている。

※この「「肉親にあてた手紙」」の解説は、「石原吉郎」の解説の一部です。
「「肉親にあてた手紙」」を含む「石原吉郎」の記事については、「石原吉郎」の概要を参照ください。

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