「職域の部」の導入
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1969年(昭和44年)の第18回大会は、「一部」(地域の部)と「二部」(職域の部)という二部制に分かれて開催された。これは、従来の地域青年団員の参加に加えて、体育部門において職場・事業所単位での参加を認めるというものだった。しかし、勤労青年に広く参加の門戸を開くという意義はともかく、青年団と関係の無い職場チームの青年が出場する事が果たして青年団の組織強化につながるかという疑問が検討段階から指摘されていた。 第18回大会直後の日青協理事会においてもこの疑問が俎上に挙がった。全青大は勤労青年の大会であるという原則から見ても参加者を青年団員のみに絞るべきではないという意見もあったものの、次年度の大会でも二部制を取り入れるという開催要項案は否決されてしまった。そこで執行部は翌1970年(昭和45年)の定期大会において、二部制は次年度開催予定の第20回大会から改めるという案を提示し、議論は一旦は収束した。 しかし、実際の廃止はその後文部省や各都道府県の教育委員会との意見調整がつかなかったため、1975年(昭和50年)の第24回大会まで持ち越された。ちなみに、この時二部制廃止に伴う参加者の減少が懸念されたが、実際は逆に前年度大会より参加者が500人以上増えるという結果になった。
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