「聴覚・視覚を通じての快」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 00:22 UTC 版)
「ヒッピアス (大)」の記事における「「聴覚・視覚を通じての快」」の解説
22. ソクラテスは、それでは「美」とは、「我々を喜ばせるもの」「聴覚・視覚を通じての快」であるという定義はどうか問う。美しい人間、刺繍、絵画、彫刻、音声、音楽、言説、物語がそうであるように。ヒッピアスも、同意する。ソクラテスは、それでは「美しい営みや法」は、「聴覚・視覚を通じての快」と言えるのか問う。ヒッピアスは、否定する。 23. ソクラテスは、「美しい営みや法」についてはとりあえず置いておいて、話を続ける。更に、「聴覚・視覚」以外の感覚の快、例えば飲食や性の快についても、置いておくとする。 24. ソクラテスは、「聴覚・視覚を通じての快」における、「聴覚を通じての快」と「視覚を通じての快」の関係について、「それぞれ個別に快(美)」であり、「両者を合わせても美」であるということでいいか問う。ヒッピアスは、肯定する。ソクラテスは、では「一方が快(美)で、もう一方が快(美)でない」場合でも、「両者を合わせると美」になるということでいいか問う。ヒッピアスは、肯定する。ソクラテスは、それではそこには聴覚・視覚それぞれ個別に備わりながら、両者に共通してそれらを美しくあらしめている「何か同一のもの」があるのだと指摘。ヒッピアスも、同意する。ソクラテスは、では両方の場合にはある性状を持っているが、それぞれ個別にはそうした性状を持っていないということがあるか問う。ヒッピアスは、否定する。
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